人生いきづまったら、その意味を「考える」コトで乗り越える。って、あるようでなかった人生論かも。

本を読むのが好きだ。

面白い本は、今読んでいる本が教えてくれるが、あとは、書店の棚に聴く。
それと、時々どなたかのブログ。

この本との初めての出会いは、やはり書店の棚で、文字だけの装幀がなんとも美しいと思った。
しかし、他の本に興味がいって、その日は、そのままこの本のことを忘れてしまう。

考える生き方

実は、手に取る事もしなかったので、タイトルも著者も、出版社も知らないままで、幻のように消えてしまった。

最近、ついにTwitterに手を出して…。

ある日タイムラインを眺めていたら、いつもちょっと知的なツイートをするfinalvent氏が、“「昨日のカレー明日のパン」傑作だった。”とつぶやいていて、おおーっと思う。

→私もまったくそう思うよ。嬉しいなぁ←実は、私は、Twitter上でしかしらないfinalvent氏をちょっと尊敬している。
(ちなみに、「昨日のカレー明日のパン」はNHKBSドラマ。脚本家・木皿泉の初の小説にして本屋大賞で惜しくも2位だった物語を原作として、原作者が脚本を担当したドラマです。一応。)

→そういえば、数日前にも“マッサンはいつおもしろくなるのだろう”ともつぶやいていて、同意!と思った。
(ちなみに、そう思いつつも「マッサン」毎日見てるよ!早く面白くなって!)

→この方は、いったい誰なのかしら?ブログがあるからちょっと行ってみよう。

→「極東ブログ」かぁ。クリックっ!

→おっ!なんとっ!
この方こそが、(私にとっての)幻の本考える生き方の著者なのでした。

で、『考える生き方 空しさを希望に変えるために』を読了

ひとことで言えば、無名の男性のちょっとだけ苦労のあった半世紀をつづったといった体裁の本。
と書いちゃうと
「一昔前だったら、リタイアしたヒトが自費出版するような感じ?」と問い返されそうだけど、そういうスタンスだったら、この方は、本を書いたりしないだろうなぁ…と漠然と思う。

自分の半生を綴るというのは、単なる方法であって、著者はそれを通して、明確に誰かに向かって言っている。

何を?
「大丈夫だよ」
…かな。

書いてみたい理由の一つが、
「これからの社会私みたいな人が増えるのではないか」と思ったから。

著者は、ブログを書き始めて10年以上、著名なブロガーを意味する「アルファブロガー」のひとり。
だから、本書は、そこで書かれたことから、あるテーマにのっとって記事を選び、編集しなおしたのかなと思ったら、それも違った。

冒頭に、本書を書こうと思った理由が述べられ、その大きなひとつが、「これからの社会私みたいな人が増えるのではないか」と思ったから。

そこをちょっと引用してみましょうか。

<「私みたいな人」ってなんですか? と言われると、「他人から見たら人生の失敗者だけど、諦めちゃったというのではなく、それなりに自分では考えて生きてきたという人」かな。
(略)多数の人は私みたいに「人生、失敗したなあ」という人生を送ると思う。
で、どうする?
考えるわけです。「なんだろ、自分の人生?」と。
そういう状況で考えながら生きて来た人の事例を書いた本が一つくらいあってもよいのではないかと。
そういう事例を一つくらいでも知っておくと、人生つまづいたとき、驚かず、「人生、そういうこともあるんだ」というふうに、多少、絶望予防の「心のワクチン」みたいになるかもしれない。>

…ってね。

繰り広がるのは、今の若者の実情に近似な人生

ふーん。
と思いつつも読み進めれば、そこにまず繰り広がるのは、バブル世代とは思えない感じの人生。

・バブル期に社会人だったというのに、職が見つからない。
・良い大学をでて、大学院まで進んだけど、けっきょくなったのは派遣社員。
・それで、頑張っても、会社でひどい目にあわされたり...。
・加えて言えば、結婚したくてもなかなかできない。

これって、今の20代のヒトにありがちな感じかも。
いや、そうゆう人生を送ったヒトは、どの世代にも多かったかもしれない。

つまり、概要だけ取り出して羅列すると、なんか全然いけてない人生なんです。

しかし、著者の場合、その人生を悩みつつも、実質大きく受け入れる。
そして、一方で、地道に学び、深く思索する日々であるから、かえって、ゆったり器の大きい生き方にも見えた。

著者は、その後、偶然訪れた大恋愛の末、結婚もし、今や子供は4人。
しかし、一方、突然難病にも侵されて…。

「ふつう」=平均的な生き方ってのはないね。当たり前だけど

本書を読み進めるコトは、どこかで生きている他人の人生を追ってゆくということと同義。
そうして、そこになんとなく見えてくるのは、「ふつう」=平均的な生き方などはどこにもなくて、すべての人生は苦悩と面白さに満ちていると言うコト。

だから、「…ねばならない」とか「こうあるべき」という世間の常識に縛られ、悲観している暇なんてないよ。
そこに自ら面白さを見つけて、まずは落ち着かなくちゃ。
…と思えてしまうのである。

そのためには、
・その時どきに、自分の人生に起こったことの意味を「受け入れ」→「考える」→「学ぶ」コトしかないんだなぁ。
…とも。

・たいへんたいへんと、心配して悲観し、ときどき他人や社会のせいにして空回りする時間。
そこを、ゆったり落ち着つかせて、思索して探るほうに振り向けたなら、平凡な人生も、かなり意味あり。

・社会のほうが大きく変化しようとしているのに、今までの常識(=過去の価値観)と外れている自分を悲観するって、実は意味なし。
常識から外れている方が未来は輝くかもしれないよ。

ざっくりいえば、そんなメッセージを受け取った感じ。
って、ざっくりすぎ?

でもね。
他者と比べない、振ってきた不幸までも味方につけた、自分の絶対的価値に気が付いたなら、もう向かう未来に怖いものなってないよ。

と静かに教えられて、希望すら感じる本なのですよ、コレ。

つまり、私としては、なんだかとっても好きな本なんです。