あるインタビュー番組に、NHK朝ドラ「花子とアン」のヒロイン吉高由里子さんが出ていた。
「台本を読んですぐ『花子とアン』はぜったいいいドラマになると思った。自分は、そんな風に思えるってコトはまれで、これが二回目。しかもはじめてそう思った映画を見てもらって、このドラマのヒロインに選んでもらった…」的なことを言っていた。
はて、その映画って?
と、思ったところ、すぐに別の記事(「花子とアン」の制作関係者がインタビューされてたやつだったかと)で、それが『横道世之介』だと知る。
そういえば、その映画を観そびれていたな。
と、いまさらながらにDVDを借り出して、ドラマ抜擢の理由はちょっと解ったような気がした。
…あのお嬢様コトバ。
確かに、小説しか読んでいないときは、その人物を「ちょっと世間知らずで変な子」としか思わなかったんでした。
しかし、吉高さんが演じた、“そのお嬢様コトバを話す、お嬢様”は、本当にナチュラルで全然変でなく、というよりだからこそ魅力的であった。
仮に私が関係者であっても今回のヒロインに押すでしょうね
…とか勝手に思う。
だって、あの独特丁寧な言葉づかい。
普通に話すと、ちょっと、嫌みな感じになっちゃう危険満載だもんね。
が、肝心な映画の方は、これでいいんだろうか?
と、原作がしみじみ良かった記憶がある私としては、ちょっと不満でもあって、それが、この本を再読した経緯である。
(いや、別の作品としてみれば、いい話だと思うのですけどね。)
ああ、長い前置きだわ…。
で、その本、さすがに処分したかなぁ…と思えば、我が書棚にあったのである。(こうゆうことだから、書棚付近がカオス状態なのであるな)
2010年に、本屋大賞の候補に挙がったので興味を持ち→読んだ、やたら厚めの単行本。
さっそく再読。
読みながら前回同様に夢中になる。
ヒロインのお嬢様は、吉高由里子、主人公は、 変な髪型の高良健吾…を当てはめて読んでしまうのはいたしかたないけど、それはそれでいい感じでもある。
大学進学のため長崎から上京した横道世之介18歳のごく普通の1年。
時は、バブルまっただ中という時代設定が、個人的には懐かしい。
入学するなりサンバサークルに入れられて、学園祭に、新入生勧誘のサンバ行進。
自動車教習所で出会った恋人は、なぜかすっとんきょうなお嬢様で、それでも、暢気で素直な世之介とのじんわりステキな日々。
クーラー目当てで夏じゅう入り浸った友人宅、彼は、実はゲイだったのだが、別にまったく気にしない世之介のフラットさがステキでもある。
もうひとりの友人のできちゃった結婚に出産、やっぱり、気負うことなく、ポンとバイトで稼いだお金を貸して、深く感謝されてみたり。
謎の隣人の正体と、カメラとの出会い…。
そんな大学生の一年と、そこで関わった人たちが大人になった現代のエピソードが交差する独特な展開も面白く。
やがて、突然明らかにされる、世之介の将来。
そこで、読者は、ガクンと落胆するのであるが、この話の素晴らしいのはそのあとの物語。
お嬢様祥子は、大学時代の1年で別れてしまった世之介を思い返し
「(彼は、)いろんなことに、『YES』って言っているような人だった。もちろんそのせいでいっぱい失敗するのだけど、それでも『NO』じゃなくって、『YES』って言っているような人」
というセリフとか。
世之介は、そんな生き方を体現するかのような報道カメラマンとして成功したらしいことにも触れられていて、
「日本中の、いや世界中の、絶望ではなく希望を撮り続けていた素晴らしいカメラマンだったのだということだけは、はっきりと、胸が締め付けられるぐらいに伝わってきた」
と、祥子が思うところとか。
何物でもなかった大学生の世之介が、きちんと生きた証が描かれていて、実はかなり悲しいエンディングが、そこで救われもするのである。
映画には、この部分がばっさりと抜けていて、だから、私にとっては、まったく別の物語。
しかし、本の再読後。
同じような充実感と救いに包まれて、ちょっとほっとするのである。
本を処分できなかった理由が少し(笑)。
せめて、文庫にしてもっていようかなぁ…。
(うーん、装丁が単行本の方がこのみ。それなら、Kindleって手もあるか。まだもってないけど・笑)