『東京難民』読了。取材に裏打ちされた貧困ビジネスのバリエーションがすごく。既成の仕組み、常識はもうすでに終わっている。…がリアルな感想。

単行本の出版は、2011年。
そのころからずーっと気になっていたくせに、すぐ忘れ、2013年の初めに映画化されて、今度は文庫が書店に並んで、また思い出す。

しかし、読んだのは、やっと今ごろである。

東京難民 文庫

東京難民(上) (光文社文庫)東京難民(下) (光文社文庫)

ともに、読了。
そのリアルに対して、目をそらせずといった感じ、つまり、本を閉じるのがもどかしく、次はどうなる、その次は!?
と、スゴイ速度で読み切ってしまった。

ストーリーの大半は、平凡な若者が、ただひたすらに転落するしてゆく話

勉強もしないで日々合コンやバイトに明け暮れるという、平凡な大学生が主人公。
…って、学生って、今もこんな暢気なんだろうか?

バブルの頃じゃああるまいし…。
とか思っているうちに、主人公の両親が謎の失踪。

親の庇護がなくなるやいなや、大学を除籍(授業料の未払いのため即)になり、さらに、家賃も未払いで、あっという間にアパートを追い出されてしまう。

除籍は、授業料の未払いのため。
仕送りがなければ家賃も払えず、有無を言わさず即退出。
どちらも、ほとんど猶予がなくて、さらには、アパート退出時の原状復帰と称して、多額の料金まで請求される始末。

これが最近のリアルであれば、現代ってのは、金の切れ目が縁の切れ目時代そのものなんだなぁ…と今更ながらに恐怖すら感じるのである。
物語が、ここから始まり、あとは、昇りのない、ジェットコースターのごとく、転落の日々がどんどんどんどん続いてゆく。

もしかすると主人公に共感できない読者は多いかもしれない

読む側は、もう冒頭10数ページの段階で、危うさを感じ、ともかく抜本的な解決に着手しなければまずいだろうよ!
思いつつ読み。

しかし、なぜか主人公の若者はそうならない不思議。

彼の問題に対するスタンスは、ただひたすらに「いやなことから逃げる」「深く考えない」という方法でしかなく。

ネット環境があるくせに、こういう場合に相談できる機関はどこか調べようとか。
せめて、少ない収入なりに家計を管理してみようとか、しばらくは自炊してみよう。
…みたいな、発想がない。

これも、これまで、ずーっと豊かで平和だった時代に生きる「日本人のリアル」なんだろうか?

なんか納得いかないんだよなぁ。

といっても、そんな主人公なら、話が全然変わっちゃうから仕方がなくて、しかし、私は、文庫の上巻を読み終わるまで、この主人公にまったく共感できないという辛さを味わうことになる。

読み方のコツは、ドキュメンタリーとして読む

で、しばし、小説ではなく、ドキュメンタリーであると自らに言い聞かせ読む。

すると、そこに立ち上がってくる、日本に巣食う、貧困ビジネスのバリエーション。
それを、主人公を通して丁寧に追体験させられる…という興味深さ。

下巻になると、少しずつ主人公の意識や考え方の変化も見えて、この生きるノウハウの無さみたいなものも、時代が少しずつ作ってきた日本人像なのだと思えてくる。
が、その先は描かれていない。

行きつく先は、格差社会より怖い

読了して言えるのは、映画バージョンの『東京難民』が公開された前後、「これは他人ごとではない恐怖」みたいにこのストーリーに寄り添った意見が目立ったものの、なんかそれって表面的すぎる感想じゃあないの?
…というコト。
(といっても映画のほうは見てないので、ほんとに怖さが際立っているかもしれないのですが…)

私が、注目したのは、お金のないヒトを半ば騙すかのように搾取してゆく、貧困ビジネスの実態と、バリエーションの多さ。
そして騙されるのみで、そこから逃げるコトでしか解決できない「生きるスキル」のなさすぎる人々。

もうこれは、現在の社会が制度疲労を軽く乗り越え、病に侵され、さらに治す努力もされず、末期症状に至っていることの証である。
アベノミクスは、そこから生まれる格差社会のコトを無視するかのように消費拡大→景気回復といった従来型の施策をススメているけれど、そこに生じるのが、格差社会ぐらいならかわいいモノだとあえて言おう。

最後は、日本人総共倒れなんじゃあないだろうか?
コレは、そうゆう意味での恐怖を描いた小説。

その恐怖に対する処方箋があるとすれば、現状の社会のマジョリティにくみせず、いつも自分はどうしたいのかを真摯に考え、そのために学び行動する…というシンプルなコトかなと。

せっかくの時代の曲がり角なのである。
実は、東京とか日本とかに住んで、難民などになっている場合ではない。
この社会は終わっていると思えれば、生きやすい新しい社会を、これから作るしかないのである。