東日本大震災で、失われたものは数多く。しかし、この「双葉ばら園」の失われ方は、深い悲しみとヒトとしての反省をいざないます。

失われた福島のバラ園』を読了。

…というか、もう三読しても読み切ってない気分であるのだが、この一冊こそは、丁寧に読み続ける。
眺め続ける。

失われた福島のバラ園表紙

そして、詫び続ける本なのではないかなぁと思う。
そう思いながらページをめくり、何巡りかして最後のページを、いったん閉じた。

美しいバラの写真を眺めつつ…。

ページをめくって、ココロに湧いてくるのは「バラの花たち、ごめんなさい。」という思い。

あの事故が起こるまで、何も疑問に思わず、湯水のように電気を使っていたのは私です。
その行為は、この美しいバラ園を破壊してしまう人災を呼ぶ片棒を担いだひとりにもなっていた。
…そんな気持ち。

2011年3月11日、東日本大震災。
そして津波。原発の事故。

この美しいバラ咲く「双葉ばら園」は、炉心溶融(メルトダウン)を起こした福島第一原発から約8kmの場所にある。
そこが帰宅困難区域に指定されて以降、バラたちは少しずつ少しずつその命を奪われていった。

失われた福島のバラ園

この写真集は、美しく魅力的なばら園の写真と、3月11日以後の同じ場所を同じアングルで撮影した写真が並ぶ。
写真とともにあるテキストは、双葉ばら園がどうやって魅力的な場所となってきたのかがまず描かれ、バラたちを置いて避難を余儀なくされた以降の悲劇につながってゆく。

あの日は、誰にとっても「人生の境界線」のごとく。

しかし、バラたちにとっては。
彼らが花咲く双葉ばら園を生み育てた園のオーナー岡田勝秀氏と家族にとっては。
…さらに深く太い残酷な境界線が引かれたのだろうことは想像に難くない。

しかし、その境界線を、ばら園の3.11以前以後の写真を並べるという手段で描くことにより、本書は強いチカラを持つ一冊になった。

丁寧に産み育ててきたものが、その長い営みを含め、すべて蔑ろにされてしまったという事実。
それを視覚で突き付けられた読者は、みな自分の内面から出てきた思いに向き合うことになり、それは、多くのことを変える一歩にもなる。

↓まずは英語バージョンで出版され、韓国語版もあるそうです。

『失われた福島のバラ園 The Rose Garden of Fukushima』