ある臨死体験。彼は、宇宙の成り立ちを見て、未来を選択した

ちょっと、不思議な本を読んだ。

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『生き方は星空が教えてくれる 』木内 鶴彦著 (サンマーク出版)

ある、天体好きな男性が、世界に120例しか報告されていない難病に突然襲われ、心肺停止に。
その時の臨死体験の様子と、そこでの気づきが、著者のその後の生き方を変えていった経緯が本書の大きな柱となっている。

現世のコトすら、日々ぼんやりとやり過ごしている自分にとって、死後の世界の体験談は、奇想天外過ぎてついてゆけないかな?
…と思いきや、なんの違和感もなく納得できてしまう不思議。

それは、著者・木内鶴彦氏の冷静な探求心(幽体離脱状態になってもパニックにならなかった!)と卓越した描写力ににあると思う。
そして、その体験を通じて知ったコトを、このリアル社会に広がるさまざまな問題に寄り添わせようとする姿勢で貫かれる本書は、単なる超常現象・オカルト書のジャンルから一線を画す。

まずなくなってゆく「死」の恐怖

彼は、臨死体験の中で、宇宙の始まりの基にあるのは「膨大な意識」であり、ヒトはそこへ帰ってゆくことを知ります。
そして、地球上のすべての生命は、その「膨大な意識」とつながっていることも。

しかし、そこにとどまるのは、平穏すぎて退屈で、生きているうちになしえなかったコトに対する後悔…のほうが、死より怖いのかもと思わされます。

こうして、読者の中には、死の恐怖を占める多くの部分が、「死ぬ」と「生きる」ことを、必要以上に乖離させようにとする現代にいて、死を考えず、知らなさすぎる自分の状況にある。
…と、まずは、腑に落ちるヒトもいるかもしれない。

少なくとも私はそうでした。

きちんと生きた先にある死は怖くはない。

仮に「臨死体験など、体験者の妄想や夢だよ」
と、かたくなに信じたくない読者であっても、その体験を経ての木内氏の考え方や生き方にフォーカスすれば、学ぶことは多いと思う。

この本に描かれた内容は、それを信じる信じないという領域をはるかに超え、読む者の視野や考え方のフィールドを、ひとつふたつ、外側に広げてくれるような感じなのである。

「月の形成」の話が面白かった。

木内氏が、肉体から離れ、意識だけになった自分が、過去と未来を自在に行き来できることを知り、やがて、宇宙の成り立ちまでを見ることになる。
特に私が面白いなと思ったのは、日々見上げている「月」のこと。

大昔の、地球の空には、実は月は存在しなかったのだとか??

彼が、見て知った「月の形成」をちょっとまとめてみればこんなことです。

月の形成は15000年前。
巨大彗星が地球に接近し、その彗星が持つ氷が蒸気化→地球に降る→地球の水の量を増加させた。
一方、水量を減らした彗星の核がそこにとどまり、月になった。

地球上では、未曽有の洪水が起き、存在していた先史文明は絶滅。
そして、水量増加と月の引力の影響で、地球の重力も変化、大きな重力がかかるようになり、巨大な生物=恐竜なども生きていけなくなる。

私も宇宙や星の世界は好きな方だと思うけど、こんな説は聞いたことはない。

でも…。

「その信憑性はどうなの?」
「科学的な根拠は?」

と言ってしまう面白くなさからは、距離を置いておきたいと思うのである。

私たちの世界は知らないコトだらけ、「そうゆうことだってあるかもしれない」という姿勢で面白がった方が、確実に自分の視野は広がり、ココロは少しだけ解放されるのである。

宇宙は、大いなるバランスによって成り立っている。そしてそこには、無駄な命は存在しない

地球に生まれてきた生命は、地球環境のバランスを保つために存在する。
そうゆう目的を持って生命が地球に存在し、循環がバランスよく行われるように進化が起きた。

これは、臨死体験で知ることになった宇宙の生成、地球、月の歴史…などなどを知ることで、著者が得たひとつの「解」。

特に地球に霊長類として存在するヒトは、どうしても崩れがちな地球のバランスを、その科学や知識でもって、修正するためにこそ在る。
と続きます。

だから、ヒトはすべて、自分が生まれた目的を見つけ、その目的のために生きてゆくべきなのである…と。

幼少のころから、星空を眺め、宇宙に思いをはせて育ち、趣味で天体のコトを学んでいた木内氏は、奇跡的に難病から生還。

その病気の原因となったシゴトを辞し、本当にやりたかった天体の研究に邁進するようになったのは、そうゆう気づきがあったからで、生活の糧を得るシゴトと並行しながらの苦労を経て、著名な彗星捜索家となる。

やがて、彗星捜索というシゴトから、彗星の衝突回避のための活動へ。医療や環境の問題などにその後の活動をうつしていきます。

臨死体験で見た二種類の未来の意味するところは暗示的

木内氏は、自分の未来へ飛んだ時、悲惨なそれと穏やかな日々という、まったく相反する二つ未来を観ます。

人類は、今、このまま経済至上主義で突き進むのか、別の道を模索するのか、重要なクロスポイントに立っている。
…このことに、意義をさしはさむ人はそう多くはないでしょう。
どっちを選んでゆくのかはさておいて…ですが。

とにかく、二つの未来の様子がオーバーラップするように見えたというコトは、未来は、まだ私たちの手で選べるということでもある。

読者は、本書から得た気づきをもって、どうゆう選択をし、どう生きるべきなのか。

けっきょく、深く考えさせられ、そして、自分があるべき姿で生きるための勇気をちょっともらうことにもなります。