5月16日は、松尾芭蕉が江戸深川から、奥州「奥の細道」をめざし旅たった日。なので「旅の日」となりました。/5/16=旧3/28・壬辰

5月16日は「旅の日」なんだそうです。

近ごろは、PR効果狙いで制定したりというのもあって、365日、なんらかの記念日で埋め尽くされている日々。
ですが、この「旅の日」というのは、いいなぁと思う。

加えて、その由来だって、そんじょそこらの記念日とは一線を画し、松尾芭蕉の旅に関連あり!
…ってところも、ますますステキ!なんである。

旅の日は、松尾芭蕉が奥の細道に旅たった日に由来します。

芭蕉が、弟子の河合曾良(そら)を伴い、奥州「奥の細道」を行くために江戸を旅たったのが、元禄2年3月27日。
それを、新暦に直すと、1689年5月16日。
で、今日はそれを記念して「旅の日」となった。

ああ、旅の日かぁ…。
ちょうど週末だし、近場の一泊旅行もいいなぁ。
とか、先日ゴールデンウィークが終わったばかりだというのに、この記念日は妙に旅情を誘います。

というコトで…。

とりあえずは、深川あたりの芭蕉由来の場所を街歩き。

江東区観光協会のサービスに「江東おでかけ情報局」というのがあって、そこが編んだ「深川芭蕉コース」
以前から、ちょっと気になっておりまして、それを参考に深川界隈をうろついてみます。

まずは、東京メトロ門前仲町駅から清澄通りを北上、仙台堀川を目指します。

ああ、さっそくいらした芭蕉さんです!

採茶庵あと

ここは、芭蕉が「おくのほそ道」の出立直前まで住まった採荼庵の跡

芭蕉は、出立の日のひと月前に、隅田川に合流するあたりにあったとされる芭蕉庵(今は、お稲荷さんを祀る場所になっています。後述)を出て、ココに移った。
元禄2年3月27日(1689年5月16日)、早朝、ここから舟で隅田川を上り、千住へ。
千住からは、日光街道を徒歩で行きます。

で、この芭蕉の像。
芭蕉像

旅への決意の表情をにじませ、舟を待つって感じでしょうかね?
当時の旅は、やはり過酷だったと思うからねぇ。

そして、この芭蕉稲荷神社が、かつて、芭蕉庵があったとされる場所。

お稲荷さん

といっても、芭蕉庵の跡地を含んだ一帯は、その後大名屋敷となって、庵がどこにあったかの特定はできないそうです。

では、なぜここだと?

1917年にこの地を高潮水害が襲い、この稲荷神社付近から「芭蕉遺愛の石蛙」と伝えられたモノが出土
それをよすがに、祠に石蛙を祭り芭蕉稲荷神社となったんだそうです。
1921年には、東京府が芭蕉庵跡と指定したので、まあ、そうゆうコトでいいかな…と。

そして、芭蕉記念館と史跡展望庭園

芭蕉稲荷神社まで足を運んだらならば、そこからすぐの、史跡展望庭園へ。

石段

風情ある、石段を上ると、ここにも、穏やかに佇む芭蕉の像。

芭蕉さん

ゆったりと流れる隅田川を眺めつつ、ココロは旅路へ向かっている…って感じしませんか?

そして、川沿いを5分ほどそぞろ歩けば、「深川芭蕉コース」の最終地点芭蕉記念館です。

記念館

展示室は、こじんまりしているけど、興味深く。
そうそう、ここには、「芭蕉遺愛の石蛙」も展示されています。

小さな庭園もなかなかにステキ。

庭園

そして…。

芭蕉さん

ここにもいらっしゃいましたね。芭蕉さん。

あらたふと青葉若葉の日の光

と、松尾芭蕉が詠んだのは、旅の最初の目的地、日光東照宮の地だそうです。

その日光に着き、この句の光景である青葉若葉を眺めたのは、出立から4日後の5月20日あたり。
ちょうど400数年まえの今ごろの緑輝く様子は、どんなだったでしょうねぇ…?

ちなみに、「あらたふと」は、「ああなんと尊いことだろう」ぐらいの意味。

連なる山々の木々には若葉が茂り、緑色の濃淡がその一帯に緑のグラデーション?
晴れていたなら、涼やかな木洩れ日?

そうゆう尊い光景 は、芭蕉の旅した時代から、ずーっと続いているのかもしれません。

山法師
記念館の庭の、山法師。
咲いた花が背中を見ながら、ちょっと日光の「あらたふと」を想像してみました。

…というか、木が背高すぎて、花を正面から眺めることができなかったんですけどね(笑)。

◆今日は、2015年5月16日/旧暦3月28日/弥生壬辰の日
◆日の出4時36分 日の入18時39分/月の出3時13分 月の入16時28分