重松清作『卒業』は、人生に必ず来るもっとも重要な卒業式の話

重松清『卒業』通勤カバンの中には、ここ数日この本が入っている。
移動中の電車の中ではもちろん、ちかごろ少しは仕事が楽になったので、若干の時間的余裕があって、かつ視野に安いコーヒーが飲める店が入れば、15分とかの小刻みな時間でも貪欲に読書に使う。
つまり、重松清作『卒業』 (新潮文庫)にひたすら嵌っているのだ。

この本でいう「卒業」は、親の死をさす。

物語は、4つの短編からなっていて、すべて、親の死を乗り越える話だ。

・親孝行をしていないいう後悔とともに、父は亡くなり母親も逝こうとしている話。
・父親の生き方を理解できずにいた息子が、死にゆく父から最後に学んだこと。
・母を亡くしたことからずーっと卒業できなかった息子の話。
・いきなり、父の死という課題を突きつけられた女子高校生の話。

平凡に生きた平凡な親たちの、でも逝き際に気がついてみれば、子にとっては非凡な親の凄さみたいなものが各々の短い物語にあふれていた。

基本ひとりかふたりしかいない親の死は、確かに、人生に数あるなかでも重要な「卒業」だ。

私の父が亡くなったときにも学びがあって、それは今の生き方にかなり影響を与えている。
父が病に倒れ、逝き、お葬式をしてという一連のあの日々は確かに何かの卒業の日だったなと思う。
学校を卒業するということよりも、ずーっと重大な卒業が人生にはたくさんある。

そんな風に思っていたら、あたりに流れてきたのは「あおげば尊し」の(たぶん)若い女性シンガーのカバー曲。
本を読むのを中断してじっくりその歌詞を味わった。
「あおげば尊し」のカバーっていう言い方は実は変なのだけど、でも学校の卒業式で無意識に歌ったときには気づかなかった。

良い曲なんだねぇ…。

「あおげば尊しわが師の恩…」の「わが師」っていうのは、「死にゆく親」だったり、たまたま手に取った「本」だったり、そうゆうことやものとの「偶然のめぐり合わせ」だったり…。
そんなことなんじゃないかなと思う。
ものごとを大きく捉えたとき、いつも学びはそこにたくさんある。

だから、私の先生はたくさんいる。…と本当にそう思うもの。

ところで、この「あおげば尊し」のカバー曲のこと、だれに聞いても知らないって…。
うーん、空耳だったのかしら。

知っているひとがいたら是非教えてください。