100年前のトルコの日本人留学生の不思議体験

『村田フェンディ滞土録』『西の魔女が死んだ』の映画化で、著者・梨木香歩さんの本を書店でよく見かけるようになった。
そうゆうこともあって、手持ちの著作を少しずつ再読しはじめる。

つまり、私の夏休み課題図書だ(笑)。

まずは、映画化に敬意を評したわけではないけれど『西の魔女が死んだ』 (新潮文庫)、そして、古い日本家屋と庭、そして不思議な市松人形…が、重要な意味を持つ物語『りかさん』 (新潮文庫)
『からくりからくさ 』(新潮文庫)と読了。

この順番は、我が家の書棚に並んでいた順で、お盆の帰省ラッシュで混雑するだろう新幹線の友は『村田エフェンディ滞土録 』(角川文庫)」となった。

女性を主人公に物語を描くことが多い著者には珍しく、主人公は男性。しかも舞台は土耳古(トルコ)

物語は、100年ほど前…まだトルコを土耳古と当て字で書いていた時代…に、土耳古(トルコ)の歴史文化の研究のため派遣された学者・村田が、英国婦人の営む下宿屋に寄宿する“エフェンディ”となる話。

“エフェンディ”とは土耳古語で学問を修めた人物に対する一種の敬称なのだそうだが、日本語でいう「先生」と同じくうさんくさい。

主人公は時々「村田エフェンディ」とよそよそしく呼ばれたりする。

村田が下宿した屋敷には、回教徒の国・土耳古の地にあるにも関わらず、様々な宗教・人種の人々が暮らしていてた。
クリスチャンの英国婦人が屋敷の主人であるのもやや珍しく、ほかに、同じく歴史を研究する、キリスト教徒のドイツ人とギリシャ正教のギリシャ人。
物語では、これもトルコ→土耳古のようにそれぞれ“独逸人(ドイツ人)”、“希臘人(ギリシャ人)”と国名は漢字で書かれていて、その演出が過去への旅情に誘っているようで心地よい。

宗教とか国とか人間とかの「違い」を俎上に上げて、そして寛容してゆく日々。

さまざまな国から来てここに住うことになった登場人物らは、時々、屋敷の食卓を囲んでの議論を始める。
話は、いつも、彼らがいかに違うのかの話で、ときどき混乱しつつも、いつしか、なんとなく、それらを受け入れてゆく。
加えて、召使の土耳古人ムハンマドは回教徒で、彼が拾ってきた鸚鵡はもとの飼い主に変な言葉を教えられていて屋敷の住人たちを翻弄したりする。

そもそも、その屋敷ですら、古代の遺跡を素材に造られていたりするもので、古代からそこに住む神様たちが無邪気に喧嘩なさったりもする…。

描かれた異国に暮らす登場人物たちにとってはかけがえのない青春の日々。
そして、読者にとっては、時間・空間・宗教観…の非日常の物語で、何かココロの柵をひとつひとつ取り払って、世界を広く大きくしてゆくような気分をしばし…といった具合。

これは、私の好きな作家・梨木香歩流の物語そのもの

それは、物語中盤、霊媒師までも登場。

「神々と言うものは、侮ったり不敬に扱ってはなりませんが、また買いかぶって期待しすぎてもなりません」

などと言わしめるところなど…。

いいぞいいぞっ!

今日が帰省ラッシュのピークとニュースは言ったが、私は運よく座席にありついて旅路は、ずーっと100年前の土耳古の街の日常と不思議の物語三昧。
本から顔を上げると、いつもの東北の街が唐突に窓外に見えて、ハッと夢からさめたようだよ。

さて、物語では、主人公・村田は、日本本国から帰国をせかされて、志し半ばで帰国となった。

彼が、仮の居を定めた場所は、友人綿貫の下宿(!)…と、そこにある。

これで、私の夏休み課題図書の次作は、当然『家守綺譚』 (新潮文庫)で決まりとなった。

だってね、この「綿貫の下宿」って、物語『家守綺譚』にて綿貫に家守される「日本家屋」のことなのであるからにして…。


↓上の写真は単行本の装丁。これは文庫。どちらの装丁もかなりステキ。