七十二候は、今は名のみの「蚕起食桑」/旧4/26・乙未

七十二候では、5月21日~ 5月25日は、「蚕起食桑」

「かいこおきてくわをはむ」と読んで、孵化した蚕(かいこ)が、桑の葉を食べて成長する時期という意味です。

蚕を飼って繭から生糸を採るというイトナミは、弥生時代に大陸から運ばれてきました。

その後、奈良の大和朝廷の時代には、すでに税として徴収される貴重品になっていて、ずっと下って、明治政府の「富国強兵 殖産興業」の根幹を支えるモノにまで成長もします。

たとえば、世界遺産登録の見通しとなった群馬・富岡製糸工場。
明治時代には、大小の規模を問わないならば、あの手の製糸工場は日本全国にあって、そこに女工を大量に投入、長時間労働を強いて、大量に紡ぎ出す必要があった生糸。
なにせ、外貨を稼ぎ、軍艦を買い、日本の発展を支えるモノだったのですからね。

その需要を支えるとなれば、この時期、桑の畑はいくらあっても足りるはずなく、そのまま日本の初夏の原風景だったはず。
そして、雨降りにも似た…と言われる蚕が桑を食む音も、田んぼの蛙の鳴き声ぐらいに普通のコトだったのかもしれません。

…が、もはや桑畑などは超レアな場所。
東京都心などに住めば桑の樹一本みあたりません。
もちろんそれを食べる蚕などはいわんや。

うーん。
「蚕起食桑」は、今や名のみの季節風物になってしまったんですかね…。

今が、「蚕起食桑」であるコトを実感できるお話がひとつ。

皇室の行事には、ご養蚕 というのがあって、明治以降の皇后さま方が、きちんと継承してこられた。
その様子は、時々、NHKの夕方のニュースなどにも時々登場しますが、今年はどうなんだろう?

ちなみに、宮内庁のホームページで見ることも可能です。→皇后さまが、「ご給桑」される様子

蚕が日本人にとって、かなり特別だったコトを伝える痕跡

…みたいなものは、神社などにひっそりとあります。

繭玉のおみくじ。

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ふーん、なんだかかわいいです。

写真のモノは、日本橋七福神、弁財天さん&福禄寿さんが祀られるの小網神社のおみくじのひとつ。

ひいて凶だったのかな?
拝殿前の樹の枝に、ひっそりと結んで帰られる方もいて、そのままココの神社らしい風景となっている。

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我が家のご近所ですと、富士塚のある小野照先神社にも繭玉のおみくじがある。

20100701下谷の繭玉みくじ

その他、探せば、この繭玉みくじは、津々浦々の神社を静かに席巻しております。

ということで、蚕とニッポン人の切っても切れない深い関係はやっぱり密かに続いているかも。

桑も蚕も、その気配はなくとも、いまごろの季節をあらわすアイテムは、日本人にとっては、ずーっと「蚕起食桑」でいいのかもしれません。

◆今日は、2014年5月24日/旧暦4月26日/卯月乙未の日