トーベ・ヤンソンの『トーベ・ヤンソン・コレクション 2 誠実な詐欺師』 (トーベ・ヤンソンコレクション筑摩書房)を読了。
久しぶりに古書店を見て回り、この本を見つけた時に、やはり無性に気になり買った本。
古書店の片隅でトーベ・ヤンソンの名を見つけ、「そういえば、ムーミンシリーズ以外読んでいなかったかも」と手に取って、古い本だから、図書館で簡単に借りられるかも…と、一瞬思ったけれど、手に入れて正解。
舞台は、とりたてて産業もない雪深い海辺の村。
最初に感じる閉塞感。
かつて、漁で賑わった村だったようだけど、今は、短い夏の観光客用ボートとかぎ針編みのベットカバーがささやかな収入源。
今年は、大雪が降り、池は人が歩けるほどに凍り付いた。
道は雪かきの手が回らず車が通れず、必要なモノを街に買いにゆくには、スキーのみ。
読者は、いきなり、小さな世界に閉じ込められたような気分に陥る。
暗い苦しい物語の始まりと終わり。
なのに、ひきつけられてしまったのは、主人公たちから発せられる(多くは、モノローグのカタチで)セリフが、いちいち琴線に触れるから。
誠実な詐欺ってのはいったい?
主人公のカトリ・クリングは、冷静沈着で実務に長けた女性。
彼女は、海とボートにしか興味がなくて、近所では「少し頭が足りない」と思われている弟マッツにボートを与えようとひとつのたくらみを思いつく。
それは、「兎屋敷」の住む老いた女性画家アンナ・アエメリンの家に住み込んで、彼女の膨大な遺産と印税収入の一部を合法的に手に入れるコト。
アンナは、お金に無頓着な上に猜疑心のないお人よし、以前より知らずにだまされたり、不利な契約で知らずに損をしたりしていた事実があった。
そこに目を付けた、カトリは、お金の計算が得意で人の欺瞞にも敏感。その才覚で、不正を整理し明らかにし、軌道修正⇒アンナの収入を倍増し、その報酬としてお金を得る。
…というのが、「誠実な詐欺師」の正体なんだけど、現代のニッポンならば、優秀なマネージャーと価値ある作品を生み出す芸術家の組み合わせ。
「いいじゃんそれで」となるところがどうもそうはいかず。
…というのがトーベ・ヤンソン流。
正反対の二人の関係に生まれた歪みと混乱。
それが、徐々に倍増し深刻な悪影響を与え合う。
…いやそこが、曖昧にしたままのあれこれをお互い明らかにし尽してゆく過程でもあって、正確には「悪」影響とはいいきれず。
そのため交わされる、シビアなセリフが、実はいちばん私の琴線に触れたのである。
たとえば…。
◆アンナに「あなたは動揺したり軽率なことを言ったりしたことはあるの?」と聞かれた時のカトリの答。
「動揺することはあります」でも「軽率なことは言わないと思います」(P83)
…うーむ。これってある意味、重要な処世術?
◆あるいは、アンナがファンの子供たちへの返事を返すに際し、代筆案を提示したカトリ。
それが気に入らなくて言い合いになり出てきたセリフ。
カトリ「人間は群れたがります。できるだけ人と同じになろうとして。誰もが五十歩百歩の動きをすると知って慰められるのです」
アンナ「個人主義者だっているわ!」
カトリ「たしかに。その場合、もっと必死で群れのなかに身を潜めなければならない。知っているのです、人と異なる者は狩りたてられることを」(p102)
◆そして、カトリと彼女のシェパード犬との信頼関係が、アンナの介入(アンナにとっては犬に名をつけ遊んだだけなのだけど…)によって崩壊していった事件。
アンナ「あなたの犬はしあわせじゃない。ただ服従するだけ」
カトリ「服従する。そう、あなたは服従のなんたるかを知らない。服従するとは、だれかを信頼できると感じて秩序だった命令に従うことを意味します。責任からの解放です。物事が単純になるんですよ。なにをすべきかはっきりしている。信頼すべき人間がたったひとり存在する、これこそが安心と平静さを生むのですから」(P137~138)
読者(私)はいずれも、カトリのセリフをアンチテーゼとして読んだ。
人が生きてゆくうえで、細心の注意をしていかなければならない真実のコトバがそこここにちりばめられているような…・
おそらく、何度も読み返すことになりそうな本。
すでに文庫も出ているようなので、それも買うかも。
↓文庫の装丁の方が好きです
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