村上龍作『オールド・テロリスト』を一気読み読了。
実際は、3日かかったんだけど、読了感は、呼吸も忘れていっき読みしたイメージ。
いや、活字が詰まりまくった全565ページを3日で読了って、私にとっては一気読みに近いと思う。
この物語には、章立てもなく、ただただ継続する疾走感。
読者は、今日はここまでにしておこうと本を閉じるのけっこう難しいんじゃあないかな。
「オールド・テロリスト」って何?
と書店で手に取り、帯の文句に、相当、惹かれる。
いわく。
<年寄りの冷や水とはよく言ったものだ。年寄りは、寒中水泳などすべきじゃない。別に元気じゃなくてもいいし、がんばることもない。年寄りは、静かに暮らし、あとはテロをやって歴史を変えればそれでいいんだ>
特に、<静かに暮らし>と<あとはテロをやって歴史を変えればそれでいいんだ>の矛盾に、なんだか、ものすごい面白い話が繰り広がる予感がしたんである。
そして、物語はそのとおり。
テロは、不穏な形で東京あちこちで散発的に行われる。
その様子がリアルすぎで、怖い。
ホントに起こった事件を、見て描写しているかのような臨場感…この作家。どんなに年をとってもホンキデこうゆうところ変わらないなと思いつつ読む。
ちなみに、そのあちこちというのが、NHK西玄関⇒大田区にある池上商店街⇒映画館の新宿ミラノの順で、実名にて登場。
これって、いいの?と思ってしまう残酷なシーンなんですが、作家のわざとなのかしら?
ほかにも批判的な対象として、実名がバシバシ登場してしまうってところにこの物語の過激さの一端があると私は思う。
主人公の男は、
ホームレスぎりぎりまで身を落としたジャーナリスト。
彼は、テロの首謀者らしき者から、取材依頼の名目で、テロ現場に呼び出され、死線ギリギリを彷徨わされるという高リスクの振り回され方をする。
その描写も秀逸。
ジャーナリズムの花形からは遠いテーマで、ペンを握り。
いろいろあって妻子に去られ、精神的に追い詰められ、職を失い…と、とんでもなく情けない主人公が、そのテロ生還のシーンを経るごとに魅力を増してゆくのも読みどころ。
テロは、第二次世界大戦を肌で知る70代以上の人びとが、今までになかったネットワークを作り、表に出ないカタチで実行をした。
目的は、本書の帯の文言にあった「歴史を変える」。
つまり、だれも責任をとらない国、とらなくていい仕組みで成り立っているような国をいったん更地にしてリセットするみたいなコト…か。
戦中戦後の食糧難の時代を生き伸びた上に、老境にいたっても、さらに矍鑠として、経済的にも成功を収めた、体力も知力も経験もある老人たち。
そんな侮れないテロ集団が、最後に狙うのは、原発だった…。
ただし、その目的は、放射能事故を起こすという短絡攻撃とは一線を画し、しかし、もっと怖く深いダメージを与える目論見が横たわる。
本書は、もちろん壮大なフィクションではあるけれど、もしや、私がしらないうちにこんな怖いことが起こったの?
…と、途中からノンフェクションを読む気分=恐怖を感じてもしまうのである。
最後に…。
いちばん印象に残った記述をここに書き写しておこうかと。
「問題点や疑問点を示さず、犠牲者の葬儀や遺族のコメントなど情緒的な報道しかできない日本のメディアの罪は大きいと思う。この国のメディアは、なんて悪い人なんでしょうと、なんて可哀想な人なんでしょうという二つのアプローチでしかニュースを作れない。何も対策を取らなかったら人間はどこまでも堕落して、どんな悪いことでもするという前提がない。(略)要するにそうゆう国なのだ。」(p90)
…ああ、この記述は、折に触れ読んで忘れずにいようと思う。