高村薫作『土の記』を淡々と読了。読後感は、滋味あふれる米をよく噛んで食べたあとの充実感に似てる?

高村薫作『土の記』(上下巻)を読了。

淡々と読み進み。
ああ、終わってしまったぁ…という読後感。
淡々とした筆致の物語だったというのに、その充実感は他に代えがたく、つまり、これから何をよんだらいいんだろうか…みたいな気分に一瞬陥る。
いや、読みたい本はいっぱいあるんだけれど、読了後は、一瞬でもそんな気にさせられる読者は多いのではないかしら?

高村薫 土の記上下

主人公は、古希を迎えた独り身の男性。
東京の大学卒⇒関西の大手電気メーカーの技術者として勤め、旧家の婿養子という縁で、妻亡き後の晩年。
舞台となる奈良県大宇陀の農夫となった伊佐夫。

ああ、社会派ミステリ-ではないんだ?
でも…いい。

この作家の作品は好きでそのほとんどを読んでもいるからその延長で、農村でくり広がる社会派ミステリーか?
…という心構えで読み始め。

いつまでたっても何も起こらない様子にややいぶかしく思う。

いや、考えてみれば、淡々とした農夫の暮らしの中で起こった事件は数多く。

たとえば…。

妻が外に男性を作ったという裏切りと、それを原因とした自殺(とは断定してはいないが、主人公はそう気が付いている風だ)未遂。
そして、その後16年間の植物状態介護の果ての妻の死。

その他にも、時代を反映する大小の事件がこの山間の地でも多数紛れ込む。

そういえば、東日本大震災のことにも触れられて、あの事故が、日本全国に恐怖を振りまいたことも実感もした。

だけど…。

それらも、淡々と描かれる棚田でのコメ作りと野生のお茶を育てる描写。
つまり、その大もととなる土=大地の営みの中に大きく呑み込まれ、いつしか通りずぎ、読み手にとっては、大きな危機感も焦燥感も感じないコトになる。

ただ、棚田の広がる山間地に、事件や事故や人の死が在る…というだけだ。

こんな風な作風なのに、まったく退屈になることもない不思議。

たぶん、淡々と読み進められたのは、微に入り細に入り描かれた、農業という営みが興味深過ぎたからだと思う。

高村さんは、今、農業に深い興味をもっているのだろうか?
と思わせるぐらいの、詳しい書き様。

主人公伊佐夫が、プロの農業者というより、素人っぽく。
というより、理系大出身の元技術者が、昔取った杵柄で、農地にも「実験」を持ち込んだみたいな農業の姿が面白かったせいか?

自分で考えながら、失敗しながら、日々、畑と田んぼのことを気にしつつ暮らす一年と少し。

読了して、本を閉じたら…。

ああ、この気分は、よく噛んで、滋味あふれるご飯を食べ終わった満腹感に似てるかも?(←いや、そのまんま。主人公は米作ってんだから( ´艸`))
だから、もうこの本はおなか一杯、再読はしないかもなぁ…と思ったり。

いや、ほかの本を読んでも満たされず、また何度か書棚から取り出す日も来るんじゃないだろか?

そう思ってとりあえず、いったん我が書棚に納めてみた。
ああ、こうゆう物語を作家が生み出すもんで、書棚の本は、今年も増殖を続けるかもなぁ。

追記:物語の最後の最後、舞台となった奈良県大宇陀は…

その地は、古事記や日本書紀とも縁が深い土地だそうで、そこ件に触れられた描写が最後の最後に登場。
それも、本を処分せずにしばらくとっておこうかと思った理由。

書棚にこの2冊を納めてのちに、「古事記」を取り出してさがしてみたり。
個人的には、そんな楽しみもあり。