『死ぬってどういうことですか? 今を生きるための9の対論』 (角川フォレスタ)を読了。
実は、非常に符合する点が多いふたりの対論
最初、一章ずつ(ということは対論1回分?)電子書籍で発売され、そのころ「異色の組み合わせ!」とか、どこかで言われていたようが記憶がある。
だけど、この世代を超えたお二人、すごく似た境遇にある(あった?)と思う。
◆ひとつは、マスコミによるバッシングを乗り越えて生きているということ。
瀬戸内寂聴さんは、いまでこそ立派なお坊さんとして、大御所作家として尊敬される存在。
だけど、作家・瀬戸内晴美の頃は、その作風からか、マスコミからは、ちょっとスキャンダラスな存在扱いだったはず。
作家になるずーっと前、恋愛ざたの末、娘を捨てて出奔した過去まで取りざたされてバッシングはすごかったと思う。
なにせ、ぼんやり遊んでばっかりいた小学生の私の印象に残るぐらいでしたからね。
一方、堀江貴文さんのバッシング騒ぎほうは、記憶に新しく、けっきょく、収監までしちゃったもんね。説明不要。
◆そして、検察、裁判、冤罪…etc
瀬戸内寂聴さんの作品には、過去の冤罪事件に巻き込まれた女性の伝記が非常に多いのが特徴。
実生活でも、冤罪と思われる事件の再審請求の運動に関わったり、裁判で証人として出廷したりという活動をしてきた人。
一方、かのライブドア事件における堀江氏が冤罪
…というには微妙な感じではあるけど、同じ粉飾事件を起こした企業の責任者のほとんどが、執行猶予となっている事実を知れば、かなりやられ過ぎ。
検察による見せしめ感は否めない。
ということで、検察の取り調べ、裁判を経て、懲役までも務めたホリエモン。
その後、日本の「検察・司法制度」には、一過言あり。
つまり、異色なのは、この二人を、今の点で見てるからにすぎない。
どちらかといえば、符合するところだらけのふたりですよ。
で、このふたりの符号点を違ったコトバで言い換えたとしたら、自由な生き方が似ている。
…となるだろうか?
世間から嫌われようと、バッシングを受けようと、自分が信じる生き方をする。
生きるための考え方の背骨=軸をしっかりと持ち、そう簡単にはぶれない。
なのに、柔軟でしなやかな強さを持つ。
そうゆう共通点を持つ二人の対論は、多岐に渡り興味深く。
実は、読み進むうち、「私もあなたも思考停止している場合じゃないんだよ!」とひとりごちていた。
タイトルは、「死ぬってどうゆうことですか?」と、やや湿っぽく、感情的なイメージをまとってはいるけれどあなどれない。
本書で語られることには、「今身近で起こっているあのコトって、つまりどうゆうことなのか?」の答を導くヒントが満載なのである。
とにかく、自分も知って、考えなくてはこりゃやばい!
と日々思う、政治、経済、社会のさまざまな問題。
その答えを他人に考えさせて、真に受けるから、私たちは自由じゃあないのかも…とも思う。
ホリエモンと寂聴。
彼らは、いつも強く賢く見えて、どんなことが降りかかっても飄々としなやかに生きているように見える。
その理由も本書を読んでちょっと了解。
彼らのように自由に生きたいならば、いつも彼らぐらい深く学んで知って、考えて、そして、自分なりの考え方を持つことが大切なんだ。
苦労や努力はするけど、無駄なストレスはない生き方。
反省はするけれど、後悔はしない、前へ進む生き方。
そうやって生きるヒントがこれでもかっ!と飛び交っているような一冊。
とりあえず目次
※目次の文言だけでも、いろいろ見えてくるものありますね。
はじめに 瀬戸内寂聴
1.死ぬってどうゆうことですか?
いつかは死ぬ。死ぬことを考えたら生きることが見えてくる
2.こだわるな、手ばなせ!
もっと認め合い許し合い譲って生きよう
3.子育てってエンタテインメント
少子化問題は政策ではなく流行として解決
4.特別篇1 ホリエ講義「長生きは歯のケアが基本」
5.生きているだけでなんとかなるよ
ろくに努力もしないで、絶望するな!
6.今って不景気? 好景気?
働くこと、辞めること、やり直すこと
7.特別篇2 原子力発電をめぐって「原発、この憂うべきもの」
8.戦争、するの? しないの?
もはや戦後ではない。戦前だ!?
9.国家権力に気をつけよう
軍部より恐いもの、それは「検察」
あとがき 堀江貴文