『猫にはいやなところがまったくない』を深くうなずきつつ読了。…別れがたくて、だらだらと気に入った章を拾い読みし止まらない(;´∀`)

山田かおり『猫にはいやなところがまったくない』を深くうなずきつつ読了。

タイトルに関しては、もう書店で遭遇したその時から、「そうだ、よく言った。あたりまえだが、はっきり言う人は案外少ない。素晴らしいっ!」と、ココロの中では称賛の嵐。

『猫にはいやなところがまったくない』…もうね、こう言われたら、引き込まれますって、猫好き捕獲機のようなタイトルだよとも思うよ。…猫好きには。

猫には嫌なところはまったくない

読む前にここまで前評判を高めると、肩透かし…なんてことになるんだろか?
などと、にわかに思い、恐る恐る読み始めたり(笑)。

いやぁ、そんなの杞憂。
なんか、もう山田かおり依存症になりそうな勢いの読後感なのである。

お姉こと山田かおりと、CP(チャッピー)&のりやすの他愛無い暮らし。

もちろん、CP(チャッピー)&のりやすが、この物語…というかエッセイ?の主人公たる猫。

そこに時々、父母、妹、友人とかがからみ、これらヒトの登場人物が、さらに、ややただならないのだが、猫たちにはかなわない。
そうそう、猫ってのは、いつもただならない存在感なんだよなぁと、深くうなずきつつ。

やがて、猫好きというのは、同じようなことをすると気づくのである。

たとえば…。

・猫のアフレコ。
⇒もちろん私も猫のアフレコは関西弁オンリィーで。しかし、北海道生まれの東北育ちと、まったくかすりもしない私に対し、関西弁ネイティヴの山田かおり氏では、面白さが違う。
憧れます。もっと関西弁を学ぼう、猫アフレコのために…などと思う。

・猫をキャストに据えた妄想物語の構築。
⇒たとえば、早朝に「餌はまだかっ!」と、猫にたたき起こされる日常シーンが「朝の寸劇」と題した猫物語に。猫あるある話が、コメディとして成立する…という猫あるある多数。

・猫の変な姿の激写…etc。
⇒ああ、猫って、ホントに面白しすぎだよぉ。という写真も満載。

しかしっ!!

実は、ガルシア=マルケス『百年の孤独』を読むに際して、先を阻む、登場人物の長すぎる名前対策に深く感銘したりする。

<翻訳者に本気で読ませる気があれば、(ホセ・アルカディオ・ブエンディーアやらアウレリャーノ・ブエンディーアみたいな)名前を“よしお”や“まさお”に変換する工夫と思いやりが欲しい。>(20 百年の孤独)
と言うあたりに、「山田さんって天才だわっ!」と思ってしまったんだが…特によしおとまさおを持ってくるあたり。

…って、肝心な感銘ネタが、猫ネタじゃあない?
まあ、そうゆう読みどころも多数ってことです。

同じ意味で、本書を手に取ったら「39 サブゥエイ」の章っも読んでほしいなぁ。
あんた、その話作ってないよね?
と、突っ込みつつ、作者の日常の観察眼に敬服。
さすが、日々猫に鍛えられているだけあると思ったりする(←こじつけました)。

っことで、猫を飼ってるあなたも、実は飼っていないただのネコ好きの私にも、ぜったいココロが捕獲される一冊。

もう二廻りぐらい読んだってのに、今日も、また、あちこち気に入った章を読んでフフッと和み。
気ままなでラフな猫の写真を眺めて憩う。

でもねぇ…。

もう、実は、CP(チャッピー)ものりやすも虹の橋を渡っちゃったんだって…(:_;)。

そんな、猫と作者の、出会いと別れの物語でもあるのである。

◆ホントにねぇ、猫好き一家には一冊ほしい本😊。