カラダは東北、ココロは道後温泉/旧2/19・己丑

2014年は、今日から23日まで、四国松山・道後温泉のお祭りです。

って、なんでいきなり四国の祭りを?

うーん、その興味の入口は、やっぱり、夏目漱石の「坊ちゃん」によるところが大きい。

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無鉄砲は玉に瑕だけど、「せこい」、「ずるい」という文字は彼の辞書には無くて、女中の清ではないが、坊ちゃんの「まっすぐな気性」が痛快で魅力的。
子供の頃から何度読んだか解らないぐらいの一冊です。

あるとき、その「坊ちゃん」の舞台となった「道後温泉まつり」の記事を何かで読んで以降、春の彼岸が来ると、そろそろ遠い松山ではお祭りの時期だなぁ…などと、一度も足を運んだことのない土地に思いをはせる。

もちろん、彼岸に故郷・東北の街に帰らないのは罰当たりなもんで、単に思うだけです。
で、代わりに書棚から「坊ちゃん」を取り出して、あちこち拾い読みして我慢する。

東京からはるばる松山中学校に赴任しはじまる波乱の日々は、実は1年にも満たない短い期間。
しかし、短気でスピード感を持って生きる坊ちゃんとのんびりした松山の人々の組み合わせ。
その気性のズレみたいなものが、いろいろな事件を生み出し、高密度で頻発。

なので、私の友人界隈では、もっと長い間の話のように思っているヒトも多数です。

さて、その「事件」の間を縫って物語の中にたびたび登場する「温泉」のシーンを拾い読みしようか。
それは、温泉街というより、ややリッチな銭湯みたいな感じで、現代の「ちょっと近場のスーパー銭湯へ出かける」というのにイメージが近い。
汽車に乗って数駅、歩いても30分ぐらいの近さに温泉街があって、日常の楽しみとして温泉に浸かり、湯を浴びたあとに坊ちゃんが食べた団子もおいしそうです。

道後温泉は、カミサマが湯治したぐらい古い温泉らしい

「坊ちゃん」を入口にしつつも、私の興味を支えるのは、その古さ具合。

神話の世界までさかのぼり、もう、ホントかどうかわからないぐらい古いってとこが惹かれる理由だったりもします。

松山に関する各種観光案内によれば、最初に登場するのは「伊予国風土記」の大国主命(出雲大社などに祀られているあの方)と少彦名命(コロボックルの祖先と言われる小さな方)の伝説のくだりだっていうから驚き…というか、羨ましい。
(…実は、日本の神話がめっぽう好き!なもんでして、こう来るともう深みにはまるわたくしなのです)

このふたりのカミサマが伊予国(松山のあたり)を訪れた時、少彦名命さんのほうが急に気分が悪くなり、寝込んでしまう。

病を治そうとした、大国主命は大分の速見の湯を伊予国に引き(…ってカミサマのやることって、海をまたいで湯を運ぶ?!)、温かいお湯に小さな身体の少彦名命を手のひらにのせ入浴させると、不思議にも体調が回復。

少彦名命は喜び、側にあった石の上に立って「しばらく昼寝をしていたようだ」と叫び、その上で舞ったのだそう。
(ちなみに、この石・「玉の石」は、今も道後温泉にて大切に守られているそうです)

「風土記」には、温泉の効能までも抜かりなく書かれているらしいってところも面白いです。

「日本書紀」にも頻出

神話=ファンタジー的要素満載ですが、歴史書テイストの「日本書紀」にも、この温泉が天皇行幸の記録として登場します。
となれば、その古さもややリアリティが出てくるというものでしょうか。

たとえば、舒明天皇が「伊予の湯の宮に行幸された」とあって、斉明天皇項にも、伊予の熟田津の石湯行宮(いわゆのかりみや)=道後温泉の名が。

うーん。やっぱり、「風土記」とか「日本書紀」とか、現代から見ればおんなじぐらい不思議で、古すぎるかなぁ~。
でもそこが好きなんですよね。

不思議といえば…。

この道後温泉、実は、約300年前に起こった地震でお湯が湧き出なくなってしまったことがありました。

こんな由緒ある温泉を枯らしてしまっては大変と、人々は、神仏に祈願します。
そして、無事翌年には復旧という、やはりやや手前の時代にもカミサマ効果。

そうゆうこともあって、道後温泉まつりの起源は、温泉の復旧に尽くしてくれた神仏への感謝の催しなのだそうです。

ああ、面白そうなエピソード満載の場所です。
やっぱり、祭りの時期は無理としても、やはり一度は行ってみよう!

そのときは、もちろん「坊ちゃん」を読み読み、ゆっくり電車で道後温泉に向かう予定。
…って可能なのかな?

◆今日は、2014年3月19日/旧暦2月19日/如月己丑の日