なぜいまでも政府は「原発推進」気分なのか?

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本書の推薦文を「原発ホワイトアウト」の若杉冽氏が書いていて、「霞が関には古賀さんを隠れキリシタンのように慕っている官僚たちがいる。原発の裏も表も全部わかる必読書」
…というのに、ちょっと空恐ろしいモノを感じた。

隠れキリシタン…って、あなた!見つかれば、為政者の手によって殺されるってことですよね?!

しかし、本書を読んでみれば、なんとなくわかる、もう平たく言っちゃえば「政府と官僚の腐敗ぶり」
というより、「無能ぶり」?
いや、「本来のシゴトしてなさすぎぶり」?
そうゆうコトが正しい世界にいれば、本気でシゴトをしたいヒトは、隠れキリシタンにでもなるしかないかって気分でしょうね。

しかし、そういう事実が、ひたひたと私たち庶民の暮らしをむしばんでいる。
あるいは、命も。
もしかしたら、日本という国だってめちゃくちゃになってしまうかも。
…と思う読後感。

本書は、元・経済産業省官僚の著者が、霞が関(官僚)&永田町(政府)のモノの考え方や動き方を熟知したからこそ解説できる原発問題をメルマガにて配信。
そのうち、2012年1月から2013年9月13日までの全51記事を時系列でまとめたモノ。

リアルタイムでメルマガ読者になるのもありだが、こうして、過去を振り返りながら読むと、ああ、あのときのあれはこういう事情か。
…と、わからなかった謎が解明される感じ。

しかし、だからといって、全然すっきりしないのは、政府も官僚も目線が国民の方をまったく向いていないという事実がわかるから。
いったいこの国はどうなってるのかしら?

一方、「原発ゼロ」の立場から、これまでの「原発推進」に関する動きを切って見せるその「論」のほうはすっきり。

なぜ、「原発ゼロ」であるべきなのか。
たとえば、その大きな一例

◆原発の国際的な原発の安全基準から、日本のそれは30年も遅れている。
→そこにそろえようとすれば、莫大なお金がかかってしまい
→安いと言われた原発コストは、急騰必至。
→原発コストが安い=あいまいで適当な日本ローカルの安全基準だったから

◆反原発はヒステリック、日本人は貧乏になれというのか?という意見について
→それでは、反原発は置いといて、電力会社を普通の会社と同じに扱ってみるとどうなるかを見てみよう。
→本書P224~226を読む
→すべての原発事業者はその事業を断念しなければ、会社は破たんしてしまうだろう。
→つまり、日本の電力会社は、資本主義の市場のルールですら、正しく経営されていない。
→そんな企業が存在しているってほうが、日本をじわじわと貧しくしてゆくのではないか。

そして、先の読後感に対し、あえて希望ある読後感を探せば、やっぱり「原発ゼロ」とはっきり方針化したほうが、あたらしい日本をつくってゆけるじゃあないの。
…となります。

たとえば、
・再生可能エネルギーの促進は、日本の過疎地の経済を支え発展させる可能性を持つ。
・廃炉技術の開発、発展は、近未来の日本の輸出産業になる可能性を持つ。
…etc。

素人のわたしですら、そう思うのに、なぜ賢いはずの官僚や政治家は、そう思わないのでしょうか。
その理由も本書でなんとなく。
さらに、推薦文を書いた、若杉冽氏「原発ホワイトアウト」を併読すると、より理解が深まるかもしれません。

◆目次をどうぞ

はじめに
第1章 東電破綻処理最初の攻防
第2章 原発再稼働で浮上した原子力ムラの正体
第3章 東電救済と大飯原発再稼働決定
第4章 原子力規制委員会を根底から批判する
第5章 原発推進派の荒唐無稽な言動
第6章 フクシマの現場を直視せよ
第7章 虚飾と欺瞞の安倍政権
おわりに

※「はじめに」と「おわりに」だけを読んでも、もうなるほどだらけです。
ここまで理論的にモノを考えられて、しかも国民目線。提案力も企画力もあるこのヒトこそ、官僚の世界に必要な人材だったと思います。