6月19日は、桜桃忌。忌とか言っているけど太宰の誕生日でもあるのです/旧5/22・辛酉

桜桃「忌」とか言ってはいるけれど、今日6月19日は太宰治の誕生日です。

太宰治は、1909年6月19日に生まれ、1948年6月13日に愛人・山崎富栄と玉川上水にて入水自殺を遂げます。
遺体が見つかったのが6月19日なので、生前をしのぶ日はその日と決められ、死の直前に書いた短編小説「桜桃」にちなみ「桜桃忌」と名づけられました。

誕生日と命日が同じ人というのは有名人にもけっこういますが、そうでもないのに、誕生日を亡くなった日と思い返される。

逝ってなおかつ、ちょっと皮肉な目にあっているように見えるのも、若い頃から自殺未遂を重ね、晩年というには早すぎる30代後半を、なんだか生きるのが辛そうな小説を書いて生きた作家・太宰治らしいかもしれません。

しかし、出身地・青森県金木町では、「誕生日なんだから生誕を祝うべきでは」との声もあがって、生誕90周年の1999年から「太宰治生誕祭」と名を改めたそうです。
今日は、その生誕を祝って、太宰治の生家「斜陽館」では、式典が執り行われているはずで、太宰作品の朗読などが楽しめるようです。

一方、東京、三鷹の禅林寺にある墓所には、今年も多くの太宰ファンたちがそこを訪れて桜桃忌を忍ぶのでしょう。

たった一度だけ太宰治の墓所に参ったことがあります。

ずいぶん前のコトになりますが、当時住まいが近かったこともあって、三鷹市下連雀の禅林寺までお参りにいったことがありました。

おそらく、桜桃忌を幾日か過ぎた日。

墓地の細い道をゆくと、ダーク・グレイの世界に、遠くからでもパッと華やかな赤い宝石がちりばめてあるようなものが見えてちょっとびっくり。

それは、誰かが供えた、みごとなさくらんぼで、その日、太宰治の墓参の目印のようになっていました。

それをふと、「故人自ら桜桃を置いたのかしら?」

みたいに思ってしまったのは、その風貌からも、ひとりで死ねなかったことからも、さびしがりやに違いなかったと勝手に思っていたのが大きい。
墓に眠って、尚さびしいんじゃないかなぁ…などと、当時、まじめに考えていました。

それは、裏返せば、作家への慕わしさ?

そういえば、明治・大正・昭和初期の古典といわれる作家を、みんな教科書に出てくる遠い人と思っているふしがあるのに、ひとり太宰治だけは違って近しいように思っていました。

やはり『人間失格』のせいでしょうか。

太宰作品の最初は、教科書にあった『走れメロス』で、確か道徳の時間の教材だったんじゃないだろうか?
いや国語だろうか?

そのあとしばらく間があいて、突然、正反対とも言える作風の『人間失格』に出会って驚きます。

そして、よくある太宰読者のステロタイプよろしく、「自分の悩みにどこか似ている!」とばかり、むさぼり読んでその世界に嵌る。
太宰作品は、良かれ悪しかれわが青春時代と一緒にあって、だから、文豪というより、なんとなく大人びた同級生とかちょっと年上の先輩的な感覚でとらえてしまっているところがあるんじゃないか。

そういう太宰ファンってたぶん多いんじゃないでしょうか。

そして、やがて、大人になって『人間失格』を読み返し、どこがどう自分のことなんだっけなぁ…などと思えるようになってから、『富嶽百景』やら『新釈諸国噺』やらを読んでみて、あらら、このひと、ずいぶん陽気な人だったんだなぁと思い至る。

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長きにわたって読み続けたファンならば、たぶん同胞はたくさんいるようにも思えます。

陽気だけれど、さびしがりやで、妻を困らせ浮気は多数。
繊細すぎて、薬物中毒になり、自殺ばっかり繰り返す。
なんだか、作家でなければただのろくでなし(いや失礼っ!)のようでもあった太宰治は、しかし、その代わりであるかのように多くのみずみずしい作品を描き出し、それで人格のバランスをとっていたのだろうなぁ。
というのも、ずいぶん大人になってからの感想。

そのバランスが崩れたからか、はたまた別に理由があったのかは知らないけれど、せっかく戦争も終わってなんでも自由に表現できる時代になったというのに、なぜか戦中より暗い話ばかりを書いて、その日々にも『グッド・バイ』と、あっけなく生涯を閉じたのは38歳。
若かったですね…。

「たち依(よ)らば大樹の陰、たとえば鴎外、森林太郎」

…なんて自ら書いたとおりに、墓は、依らば大樹の森鴎外と斜めに向かい合うようにたっている。

禅林寺にて、桜桃に飾られた墓石を拝み、ふと振り返って「森林太郎」と麗々しく彫られた墓石を見つけ、なぜか一介の読者までが、すごくずごーくほっとしたのを覚えています。

太宰治様、お誕生日おめでとうございます。

あの世では、そのままデカダンス作家でしょうか?
それともユーモア小説家?

もう亡くってからずいぶん過ぎましたから、しばらくすれば、またこの世のどこかで、ちょっとだけ拗ねながら、小説を書きはじめるかもしれませんね。

享年38歳なんて、もうばかばかしいぐらいに若い!と思うほど先まで生きてきて、更に、もっと貪欲に生きようと思う私は、桜桃忌を理由にサクランボを食らい。

食らいながら、陽気な『富嶽百景』などを紐解いてみようと思います。

◆今日は、2014年6月19日/旧暦5月22日/皐月辛酉の日