毎月18日は観音様の縁日。そして今日は百味供養の月です/旧5/21・庚申

毎月、18日は浅草観音さまの縁日です。
そして、6月のそれは、「百味供養会」が行われるさらに特別な日。

「百味供養会」は、普段私たちを見守ってくださる観音さまへの感謝の意味を込めておこなわれる行事で、山海の珍味に模したお菓子を百味と見立ててお供えし、感謝の法要を営みます。

ということで、今年も、浅草寺にいらっしゃる観音様にお礼を申し上げるため訪ねてみようと思います。

20110111浅草寺

本堂には、お菓子が入った色鮮やかな竹籠「籠供物」が飾られて華やかな雰囲気。

飾られている「籠供物」のはこんな風。

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このカワイイ籠が、ずらり並んでいるさまは、壮観で、いつもお参りするお賽銭箱の前からもその様子を眺めるコトができます。

百味供養に参加するのは、どなたでも大丈夫。
本堂に入り、向かって右側にある社務所で、お布施とともに名前を書いて、お札を申込みます。

そしたら、本堂内部に入り、すでに大勢集まっている方々としばし待つ。

…と、お坊様たちが静々と入場されて法要がはじまります。

法要は、約30分ほどですが、普段外からお参りさせていただく本堂内に入れていただき、高い天井に厳かに響く読経を耳し、自分でもたどたどしく唱えながら頭に浮かぶのはめくるめく浅草寺の年中行事。

思えば、さまざまに行事が多い浅草寺ですから、今年も、1月の初観音・亡者送りから何かとお参りに伺うことが多かった。
そのおかげなのか日々心穏やかにすごしてこられたような気がします。

ありがとうございます観音様。
そして、これから1年の後半も、きっとお世話になると思います。
どうぞよろしくお願いいたします。

…とかなり敬虔なる気持ちにひたります。

「籠供物」は、お札を申し込んだひと全員に下供されます。

法会後は、竹で美しく編まれた百味の入れ物「髭籠(ひげこ)」お札をいただき、ほくほくと帰る。
帰る道々、ちょっと透けて見えるお菓子を眺めて、どんな意匠のものだろうかと、少し心も躍る。

観音様への感謝の法要だというのに、けっきょく、また楽しい気持ちにしていただいています。

寺院、神社で行われるのは、もちろん由緒正しきカミサマ、ホトケサマがたの行事。

だから、当然ひとのこころを落ち着けるチカラを持つものですが、その一方、豊かなエンターテイメント性とか、建造物から行事の飾りつけから、小さなお守りにいたるまでの洗練されたデザインとか。
訪れる人を惹きつけよう、楽しませようとする何かがあるようにも思えます。

たとえば、今日の百味供養の「籠供物」の特別な感じ。
それは、現代人がディズニーランドへ出向き、その魅力の中で過ごして、キャラクターグッズを買って帰る。
その気分とどこか似ている…なんて言ったら、観音さまにも失礼でしょうか?

それでも、パッと感覚的に、あるいは体験的にひとを惹きつける魅力が、神社寺院の年中行事と呼ばれるものの中には溢れているようにも思え、だからこそ、長く、これだけ長く続いてきたんだろうなとも思うのです。

浅草寺の「百味供養」の供物は、山海の珍味の見立て

日本には「百味供養」「百味御食」、あるいは「百味講」という供物を調整するための講まであって、「百味」と名のつく供物を用意する行事は、他にも多く、備えるものもさまざまのようです。

たとえば、高野山金剛峰寺で行われる「旧正御影供(きゅうしょうみえく)」は、弘法大師が入定した旧暦3月21日に行われる法要として有名ですが、そこで行われる「百味供養」は、信徒から、お餅や野菜を集めてお大師さまに奉納するスタイル。
あるいは、浅草寺と同様に観音様にお供えするものであっても、田畑の収穫物を供える秋の行事というのが一般的かもしれません。

お供えの調達がつかなければ、元も子もないわけですから、まあそれも道理でしょうか。

浅草寺の観音様の「百味供養」が今頃なのは、かつて、浅草が東京湾の入江の一漁村で、人々は、魚や貝を採って暮らしていたという歴史に関係あるかもしれません。
お供えものを整えるには、海の恵みを豊富にいただける今頃が都合がいいし、そこに、山からいただき保存食にしておいたものでも加えお供えとした…というところでしょうか。
想像ですが。

そういえば、百味が入った「髭籠(ひげこ)」も、なんとなく海の幸を採る道具のようにも見えてきました。

こうして開いて中味を出してみれば、魚を採る網や魚篭にも似ていませんか?

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観音様からいただいてきた「百味」は、写真のように、干菓子とか飴菓子とかたくさんあって目にも楽しい。
おそらく仲見世あたりの菓子店がそれぞれこれぞというものを持ち寄って整えられたものでしょう。
そして、口を開いた「髭籠」も、籠を途中で編み残しただけなのに、そのデザインがなんだかとっても美しい。

あえて口を閉じなかったカタチに、おおらかさや、希望や、未来や…を勝手に感じてしまう、なにか非常に神聖なる器であるかのようにも思えてきました。

◆今日は、2014年6月18日/旧暦5月21日/皐月庚申の日