昨日4月10日から、七十二候は「鴻雁北」の時期に入っております。
読みは「こうがんかえる」。
暖かくなってツバメがやってきて、冬鳥の雁は、北へ渡っていく。
二十四節気「清明」の初候と次候で、空飛ぶ主人公が交代というわけですね。
しかし、ツバメはやってきましたが、雁がの姿を見るのはちと難しい。
◆森鴎外の「雁」によれば、かつては、不忍の池にも雁がいて、それがこの物語のプチ事件ともなったものですが…。
(青空文庫「雁」の「弐拾弐」あたりをご覧ください)
今は、鴨しか見当たらない。
子どものころは、雁の一大越冬地があった宮城県で育った私。
キレイなV字飛行で北へ帰る雁の群れなど、ごくごく普通に見ていたものですが…。
ああ、いまは、ただひたすらに懐かしい記憶です。
◆懐かしいと言えば、「雁風呂」というコトバをふと思い出しました。
ちょっと大きくなった思春期の頃、青森あたりからの転校生は、医学部進学希望の才媛にして、民話収集が趣味というシブすぎるヒト。
勉強に向けるのと同程度の集中力をもって、民話にむかっていたものだから、その知識たるや半端ない。
「雁風呂」は、その同級生から教えてもらったコトバですが、このブログに綴っているような日本の昔のアレコレとか。
そんなモノがしょうもなく好きになったのは、彼女の影響もあるかもしれないなぁ…と、やはり懐かしく思い出します。
彼女とは、もう卒業以来会っておりませんが、どんなおばさんになっているでしょうか。
ふふふっ。
ところで、そのコトバの正確な意味ってどんなだっけ?
記憶をたどって書棚の本をかきまわし、目次からひろって、あった!
…と思ったら、ちょっと違う。
ネットをあれこれ探して、青森県立図書館のレファレンスページ(3ページ目までスクロールしてください)にありました。
そこからの引用。
<月の夜 雁は木の枝を口に咥えて北国から渡ってくる。
飛び疲れると波間に枝を浮かべ、その上に停まって羽根を休めるという。
そうやって津軽の浜までたどり着くと、要らなくなった枝を浜辺に落とす。
日本で冬を過ごした雁は早春の頃、浜の枝を拾って北国に戻って行く。
雁が去ったあとの浜辺には、生きて帰れなかった雁の数だけ枝が残っている。
浜の人たちは、その枝を集めて風呂を焚き、不運な雁たちの供養をしたという。>
ああ、そうそう、こんな切ないお話でした。
しかし、このページを読んでゆくと、それがホントに、青森発の民話なのかとの検証があり、
<「雁風呂、雁供養」は津軽・外が浜に独自に伝わる話ではなく、遠いみちのくの地に思いを寄せた都びとが文芸的な脚色をし、その話が後世に伝えられたものと考えてよいようです>
との結論。
京の都の人が、みちのくの果てに思いを寄せて、それが、民話となって現代までずーっと引き継がれてきたってことみたいです。
七十二候のひとつの季節のコトバから、なんか、さらに奥深くステキな話になってきました。
◆そして、この民話はコマーシャルにも使われたとかで探してみました。
1974年のサントリー角瓶のCM。
出ているのは作家の山口瞳氏、若っ!そして、作ったのはなんと巨匠黒澤明氏です!
ところで、上から2番目に並べた本のページ。
「雁風呂」タイトルされた物語は、丸山健二氏の短編集から見つけたもの。
物語には、先の民話の記述は一切登場しませんが、ベースはなっているのは間違いないもよう。
二人のオトコが、海辺まで風呂桶を運び、そこに海水を満たして風呂を焚き入る。
焚きつけは、浜で拾った小枝。
そこに流れるのは、なにか、切ない旅情みたいなモノ。
…といった佇まいのお話です。
そういえば、「鴻雁北」というコトバ。
季節を表すコトバではありますが、その様子を想像すれば、北帰行する雁に、異国への憧れを投影したような…。
妙に、ヒトの旅情をかきたてるコトバです。
やっと、暖かくなって、過ごしやすくなったものの、なんだかかえって落ち着かない。
実は、今ごろの気分をかなり的確にとらえるコトバかもしれません。
◆今日は、2014年4月12日/旧暦3月13日/弥生癸丑の日