阿房の旅を、紙面で追ってフフフっと笑う。今日は百閒センセイの誕生日です/旧5/1・庚子

大正・昭和と活躍した文豪、内田百閒センセイ。今日は、そのセンセイの誕生日です。

センセイは、不思議ただよう幻想小説の作家にして、百鬼園の名前で随筆をものすれば、滑稽話の向こうに人間の悲しみを浮き上がらせる。
常識からいったら、断る人がいるとも思えない芸術院会員の推薦を「イヤダカラ、イヤダ」といって袖にした。
目にする写真は、気難しやが服を着ているような感じで、最初、センセイの御本は遠ざけておきたい気さえした。

それでも、ある日、センセイの仏頂面の横に麗々しく並ぶ「阿房(=あほう)」の文字。

阿房列車

それに惹かれてついついと「阿房列車」シリーズを読み始め、さらに惹かれてはまる。

そしてこのシリーズそれだけで百間センセイが大好きになりました。

東京・大阪間を一泊二日の記念すべき「特別阿房列車」。

「何の用事もなくただ汽車に乗るために出かける」を旨とする「阿房列車」の旅は、1950年(昭和25年)、「用事がなければどこへも行ってはいけないと云うわけではない。何にも用事がないけど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」という名言によって始まります。

が、そう潔い決意をしたのもつかの間。

作家の創作なのか本心なのか、旅たつ前から、”いかに汽車に乗る以外のことをしないで行って帰るか”についてあれこれぐたぐた思案に暮れる。
その様子が、読み手としてはもう可笑しく。

ここに、たぶん読者の大半は惹かれるんだろうな。
私も、活字を追って、すっかり、百間センセイの旅の友となる。

次の「区間阿房列車」は、ただ御殿場線に乗るためだけのもの

そんな単純な目的も、百閒流こだわりから乗り継ぎ損ね、次の電車をホームで待って延々2時間の無為な時間。

乗りそこねの理由は、「列車が遅れたのは国鉄のせいなのだから、乗り継ぎ列車を定時で走らせるのはなにごとか」ということでもあって、ほかの乗客は、一生懸命走って、走り出したデッキにすがってでも乗ったのですが、このセンセイばかりはそうはいかない。

その件進言せねばと、センセイは勇んで駅長室へ。

「動き出している列車に、あなた方がお客を押し込んでいるのを。僕は目撃しました。ああ云うことはいけないと思う」いや、パキッと言ったねぇ。
…と喝采しきり!

が、相手が黙るやいなやなぜかひるんで「もうあまり云うのはよそうと思う」となる(笑)。

そして、「私には第一に戦闘的精神が欠如している」との大仰な言い訳。
そこがまた内田百閒で、やっぱり愛すべき可笑しさです。

こんな調子で、以下。

・東京⇔鹿児島「鹿児島阿房列車」で西日本を大縦断。
・上野から東北縦断して青森県浅虫温泉への「東北本線阿房列車」
・帰路は、「奥羽本線阿房列車」と命名しても、途中、横手⇔黒尻の横黒線(現在の北上線)やら、山形→仙台の仙山線、仙台→松島の仙石線など寄り道ばかり。
ついでに塩釜までモーターボートに乗ったりして、やっと仙台→上野。

ちょっと名に偽りありで、しかもやや波乱万丈の旅となります。

これで、やっと第一阿房列車

シリーズは、第二阿房列車第三阿房列車 と1955年まで続きこんな調子で説明が続けば、紙面がぜんぜん足りません。

…いやブログなんでした(笑)。

それでも「阿房」な列車の旅については、旅程よりも百閒センセイのくどくど面白い筆さばきを楽しむのが正しく、なので以下割愛。
入手しやすく、図書館にだって絶対あるので、ぜひぜひお読みください。

201105内田百間

ちなみに「阿房列車」は、手元に電車の時刻表を置いて時々調べながら読めばなお楽しく、新幹線のなかった時代の列車の旅へのうらやましさ募るばかりでもあります。

うらやましいといえば、シリーズ最後まで、百閒センセイにリアル同行した「ひまらや山系」氏。

「無口で曖昧な話し方をする妙な小男」とか
「旅行の度に雨に見舞われる「稀代の雨男」」とか。

そんな風に、あれこれ言われ、奇態につき合わされたとしても、活字で追うのと、実際に行くのは大違いです。
いいなぁ…。

さながら、生き証人のように「阿房列車」の全行程を知っている唯一のこのひとは、鉄道省のち国鉄勤務の編集者平山三郎氏といって、氏の阿房列車の回想記のあれこれも結構多く面白く。

「阿房列車」本編を、とことん堪能した後は、「ひまらや山系」の本もお薦め。

百閒センセイによる、「作家の脚色」、それがよくよく知れてより面白さが増すというものです。

さて、今日のために、書棚からごそごそ探し出してきた、シリーズ三冊。
在りし日のお元気な百閒センセイは、やっぱり全部仏頂面で、何度も読んでる読者としてはそこがまた可愛い。

…なんて、可愛いだの愛すべきだのと若輩読者が連呼するのは失礼でしょうが。
すみません。

67歳で「阿房列車」シリーズを終了させてのちは…

「阿房列車」を乗りつくした百閒センセイは、更なる列車の長旅をすることもなく、昭和の半ばまで生きて、1971年に81歳で逝きました。

その後、日本列島は、新幹線でつながって、旅は無駄なく便利になっただろうけど、百閒センセイが生きていたら、なんともつまらないものとして、またあれこれつべこべと筆さばくことかと思う。
いやいや、老衰でなくなったというから、まだまだ死んだ気がせず、新幹線を鼻で笑い、あの世で阿房列車に乗り続けているかもしれません。

だから、まだご存命の方に申し上げるように言いましょう。

百閒センセイお誕生日おめでとうございます。

阿房列車は何度読んだか知りませんがまだ乗ったことはなく。
何十年か後、あの世にお邪魔した際は、読者特典にて、乗せていただきたく。

予約させいたただけませんか?

◆今日は、2014年5月29日/旧5月1日/皐月庚子の日/新月!

◎好きな作家の誕生日にはその著作を! まずは、シリーズ1から読んでみてみて!