7月28日から七十二候は、今日7月28日から「土潤溽暑」の日々に入りました(~8月1日)。
読みは、「つちうるおうてむしあつし」。
そういえば、「大暑」ののブログに、暑さをあらわす漢字を書き連ねましたが、そこにも「溽暑(じょくしょ)」という漢字のことを書きましたね。
覚えてらっしゃいますか?
蒸し暑さをあらわすコトバ。
特に、じっとしていても汗がたらーっと流れてくるような、地面も空気も全部蒸し暑い。
もう逃げ場がないといった感じの暑さでしょうか。
そらでは書けないほど複雑な字画が多い書体が、その暑さの感じをうまく表現しているような気がします。
ああ、見るだに耐えられません!
「土潤溽暑」の日々の空き地は、雑草の天国。
ヒトにとっては耐えられない暑さも、空き地の雑草にとっては我が世の春…っていうか夏(笑)。
空き地の主も暑すぎるから駆除する気にもならないのでしょう、夏の草々は悠々と背を伸ばし腕を広げ、空に向かって深呼吸などしてそうな、そんな気配に満ちています。
暑さに眠れないまま夜明けを迎え、その勢いで早朝散歩。
空き地の傍らを通れば、草たちはさらに元気でみずみずしく見えて、しばし、ぼんやりと眺めてみます。
そのうち、その美しさに離れがたくなり、そこから少しいただいて我が家にも…と思ってしまう。
たとえば、そうして、毎夏1度は、どこかの大地からいただいてくるのが、緑すがすがしい「猫じゃらし」です。
ねこじゃらしの本名は、「狗尾草(えのころぐさ)」
「狗」は犬のことですから、つまり「犬の尻尾草」という意味になりますが…ああ、確かに。
茎の先端の花穂の部分はブラシのように毛が密生し、手で握ってみると弾力があり、子犬の尻尾を触っているような感触がしますね。
一方、あだ名の「猫じゃらし」も、この“犬の尻尾”部分で、猫がじゃらされれてくれるからついた名前。
実際、夏の暑さでだれ気味であろうと、ほかに気にかかることがあろうとも、猫たちは、目の前でこれをふりふりされると、スイッチが入ったかのように飛びついてくる。
それならば、とほかの雑草でおなじことをやっても知らん顔、気まぐれ猫が唯一じゃらされてくれるのは、この草だけで、本名、あだ名ともにしっかり名は体をあらわしているということです。
狗尾草は、変異種もとても多い草なのだそうです。
その理由は、生息範囲が非常に広いから…だそうです。
いつもの、『柳宗民の雑草ノオト 』(ちくま学芸文庫)によれば、粟ぜんざいとか、今なら雑穀ブレンドに必ず入っている穀物の粟もルーツをたどれば、狗尾草の仲間だったそうです。
雑穀ブームの今なら、田舎に帰って田んぼのあたりを回遊すれば、時々その片隅で粟の栽培をするのに出会えたりしますが、その記憶をたどれば…ああ、似てますね。
粟は、狗尾草をそのまま縦に大きく伸ばしちょっと骨太にしたようなイメージで、果実を収穫するのですから、猫じゃらしのブラシに相当するあたりもずいぶんおおきかったと思います。
ふーん、そうなんですね。
あんなにいたるところに顔を出し、空気のようにふつうにいる草だというのに知られざる顔というのがあるものです。
空き地の雑草採取は、素手でいただく。
もちろん、鋏など使う手間は不要です。
地面から根っこのままぼこっとひきぬき、まさに大地からいただくという感じが似つかわしいのです。
「少しいただくとかいいながら、ずいぶん持ってゆくのねぇ」
といわれそうな一株を気持ちよく抜いたら、地面にはけっこう大きな穴が開きました。
小さな虫が「なんだなんだ」と飛び出してきたりする様子も面白く、しばしそれも観察。
どんな街の真ん中でも、雑草茂るあたりは、生命力にも満ち満ちていて、そこにもまた知られざるものの発見があります。
手ぶらに近い散歩ですから、袋も包む紙も持ち合わせはなく、そのまま、根っこつきのむき出しのまま抱えて帰路。
もう、早朝出勤の人々がせかせかと駅へ向かう流れをむき出し猫じゃらしをもって堂々と逆に進む様子は、ちょっと謎のひとでしょうね。
あの空き地には、他にも飾り甲斐のありそうな雑草があったような…。
ゆらゆら蜃気楼を見るように、頭の中に件の空き地を浮かべ、暑い部屋で記憶をたどる。
陽射しは徐々に強さを増して、ああ、暑い。
…暑いけれど、かすかに風はあります。
◆今日は、2014年7月28日/旧暦7月2日/文月庚子の日