旧盆ももう送り火。ならばともに線香花火で送りましょう。/旧7/21・己未

故郷のお盆は、旧暦盆。
8月13日の盆の入から始まって、あっという間にもう16日です。

ご先祖様は、もうあちらの世界へお帰りになります。
今度は、太った茄子の牛にまたがって、惜しむようにゆっくりゆっくりと帰ってゆく。
迎え火同様に門口で火を焚いて送り火(おくりび)をします。

国産線香花火中味

送り火とともにしみじみと楽しみたい線香花火

線香花火は、いまでこそ中国産が大勢を占めておりますが、発祥は正真正銘日本のものです。

あがった花火に掛け声をかける「たーまやー!」「かーぎやー!」の花火屋「鍵屋」がまず玩具花火として売り出して大ヒットしました。

その玩具花火のそもそも最初は、隅田川のほとりに生えていた葦やよしの茎の管に火薬を入れたという形状のもの。
いまのロケット花火のような小さな打ち上げ花火だったようです。

線香花火は、そこから派生。
同じく葦や藁の管の中に火薬を入れたもので、手に持って斜め上方に向けたり、火鉢や香炉に立てて楽しんだりしたらしいです。

その様子が仏壇に供えた線香ににていることから「線香花火」の名がついたと伝えられています。

この葦や藁で作った線香花火は、藁の別名ズボからとって「スボ手牡丹」
そして、藁の代わりに和紙に火薬をつけて長く手で縒ってつくる「長手牡丹」と呼ばれるものも生まれます。
この「長手牡丹」こそが、下にたらしてそっと火をつけたのしむスタイルのもの。
私たちになじみの線香花火です。

こちらは、元鍵屋の番頭にして独立を許され、江戸一のアイデアマンといわれた玉屋の考案したものだと考えされているそうです。

「スボ手牡丹」は、材料の葦や藁の調達の容易さから関西で広まり、逆に「長手牡丹」は江戸で人気を集めてゆきます。
この需要にこたえるためか、花火は、かつて戦につかう火薬の産地であった三河、北九州、信州で盛んに生産されるようになり、ながく昭和の時代まで線香花火の3大産地ともいわれるようになってゆきます。

ということで、日本のご先祖サマは、日本産の線香花火でしっとり送る。

実は、昭和の最後、中国産の安価な玩具花火が大量に入ってきたことで、歴史ある日本の線香花火はすっかり廃れてしまいました。

それを、江戸の花火にかかわる職人たちが、素人目には、伊達や酔狂、道楽であるかのように過去の資料を紐解き、適した火薬と和紙を探し実験を重ね、数少ない縒り手に指導を受けて復活に挑みます。
そうして、できたのが、これらの線香花火。

国産線香花火

最初にできたのが、真ん中の「大江戸牡丹」
大江戸線の開通にちなんでつけた名前だそうです。

その花火の火の粉が飛び火したかのように復活したのが、九州の「不知火牡丹」(左)。

そして徳川家にちなんで作られたものでしょうか、ずいぶん前から芝増上寺で夏になると売られているのが気になっていた「徳川牡丹」(右)を揃いぶみさせてみました。

その中身は、冒頭にある線香花火の写真です。

線香花火の鑑賞法を、物理学者・寺田虎彦に学ぶ

派手さはまったくない、線香花火ですが、「大江戸」「不知火」「徳川」のあとに共通してつけられた花火の別名「牡丹」を見て、この名づけのセンスに同じ日本人として矜持を感じる部分あり。

「牡丹」は、線香花火の最初にできる火の玉のこと。
それが艶やかだからこその別名なんだそうですが、そうそうそうだよねぇ…と。

さらに、その後の線香花火が静々と燃え輝く様子は、牡丹→松葉→菊と順に推移すると言ったのは、物理学者にして随筆家の寺田虎彦ですが、ああ、その見解にも膝を打ちますっ!
お見事な見立て!

ということで、その著書「備忘録」(→青空文庫「忘備録」に飛びます)からややはしょって引用させていただきます。
もしも、これから線香花火を楽しむ予定のある方は、こちらを頭に入れてから、花火をされることをおススメします。

さて、それでは、線香花火に火をともしたならば…。

<火薬の燃焼がはじまって小さな炎が牡丹の花弁のように放出>
無数の光の矢束となって放散する、その中の一片はまたさらに砕けて第二の松葉第三第四の松葉を展開する>
<もはや爆裂するだけの勢力のない火弾が、空気の抵抗のためにその速度を失って、重力のために放物線を描いてたれ落ちるのである。荘重なラルゴで始まったのが、アンダンテ、アレグロを経て、プレスティシモになったと思うと、急激なデクレスセンドで、哀れにさびしいフィナーレに移って行く。私の母はこの最後のフェーズを「散り菊」と名づけていた。ほんとうに単弁の菊のしおれかかったような形である>

と、いかがですか?
線香花火の各行程を、学者らしくややくどくどと、しかし、美しい花や樹木のカタチを借りて解説しています。

復刻花火の販売元は、浅草橋の山縣商店ですよ!

そこから、線香花火を購入し、一緒にいただいた解説シートには、寺田博士の「牡丹→松葉→菊」の途中に「柳」を加え、もっと簡易に解説されていますので、そちらも念のため引用いたしましょう。

<最初の赤い火の玉を牡丹、ぱっぱと飛び散る最盛期を松葉、長く散るのを、そして最後をちり菊にたとえられます。>

実際、「大江戸牡丹」は、本気でそのような情緒ある火花の散り方をします。
この微細な変化のコトを知らないままでは、他の線香花火と同じじゃあないの?と思うところを、これらのちょっとした知識が、職人の試行錯誤によってよみがえった線香花火の奥深さを教えてくれます。

江戸東京の職人の粋、技たるや!!

小さな線香花火に興じ、大きく深く感動させられる、送り火の夜となりました。

◆今日は、2014年8月16日/旧暦7月21日/文月己未の日