季節の暦、七十二候は、「鶏始乳」(1月30日~2月3日)に入りました。
「にわとりはじめてとやにつく」と読んで、ニワトリが、鳥屋に入って卵を産む季節ですという意味です。
七十二候は、身近ないきものの生まれ来る話で締めくくられ、この5日間が過ぎれば、いよいよ二十四節気の「立春」=春です。
となったら、節分の豆「福豆」の準備です。
節分の夜にまく豆「福豆」は、節分の日よりも前に炒って、しばらく神さまにお供えしておくというのが作法。
…で、自分で炒るのも大変なので、どこかで調達してくるわけですが、おススメは、いちばん正統な場所。
節分祭を予定する神社や寺です。
節分祭が予定されているならば、いずれの社務所でも、節分の数日前からお守りなどと並んでいるはず。
気にしてみて廻れば、炒り豆を、寺社名を焼印した枡に入れたり、寺紋神紋をアレンジした袋に入れたりとなかなか意匠に凝って美しい。
この事実を知ってからは、私も断然、神社寺社の福豆派。
しかも、毎年違うところのものを授与いただくことにもなっている…。
ってコトで、今年は、浅草寺の福豆にしました。
キリッと白い和紙に、福豆、金龍山 浅草寺の文字。
包装の仕方もひと工夫ありで、糊付けされた裏側まで美しいです。
これを、我が家の神棚もどきに…観音さまの福豆なのにいいのかしら?まあいいかと自問自答しつつ…お供えし、あとは節分の日を待つのみです。
これを、節分の日にまけば、鬼として象徴される冬の寒気や邪気をすっきり追い出しても下さるでしょう。
(…って、もったいなくって実は、まかないんですが。)
年の数プラス1個=数え年分を食べるにしたって、なんとなくこちらのほうが霊験あらたかな感じです。
(…って、もうそんなに豆ばっかし食べたらおなか壊しそうな数なんで、余しちゃうんですが・苦笑)
節分・鬼・豆まきの行事は室町時代から
節分に鬼というカタチあるものが登場して、豆をまくようになったのは、室町時代ぐらいからとされますが、鬼を追うのに、なぜ豆なのか。
正確には、豆は鬼の目を打つもの。
それが豆=魔目=魔滅に通じ、悪魔のような鬼の目にめがけて豆を投げれば「魔滅(まめ)」につながるということのようです。
日本人って、昔々の昔から、どうもこのような言葉あそびが好きなようです。
…ちょっと小声で、「これってだじゃれですよね」(笑)。
付録:今までの福豆の中でいちばん豪華バージョン
それは、なんといっても深川不動尊のもの。
というか、正確には、そのルーツとなった成田不動尊の福豆です。
美しい、葉牡丹の寺紋は成田不動尊に縁の寺のみが許された印。
その寺紋の袋から取り出すと、キリリと四角い枡の中には、大振りの炒り豆と、お守りまで入っています。
炒った豆のにおいが漂って、つまみ食いもしたくなるほど。
今年の初不動でお参りした時も、もちろん社務所前にて授与。
毎年、今年もこれにしようかと逡巡する美しさなのですが、「福豆は、毎年違うモノを」の(もしかしたら罰当たりかもしれない)MYルールに従い、帰路、今年の福豆求めて浅草寺にまわったでありました。
◆今日は、2015年1月31日/旧暦12月12日/師走丁未の日
◆日の出 6時42分 日の入17時07分/月の出14時02分 月の入 3時28分