最初は先入観ありき、でも…。
本書が最初に書店に並んだのは昨年の3月。
私の実家は福島にあり、原発関連の本は気になりますが、朝日新聞という大手メディアが「明かされなかった福島原発事故の真実」を書く?
まさか?
なぜか胡散臭さが先に立ってそのままになっていました。
たまに図書館でまとめ読みをしますが、私は新聞をとっていません。
それも、こうゆう先入観めいた思いにつながっていたのかもしれません。
本書は2011年10月から朝日新聞紙上で連載がスタート。あっという間に読者に支持され、ほぼ連日の掲載が続き今に至ります。
私も、紙面で1度でも読んでいたらおそらく夢中になっていただろう。
本書は、読者を問答無用で引き込んでゆく、そんな迫力に満ちています。
タイトルに使われた「プロメテウス」は、ギリシャ神話の神さまのひとり。
プロメテウスは、良かれと思って人類に「火」を与え、ゼウスの怒りをかいます。
「火」を手にした人類は、その後文明を発達させることができたけれど、多くの災いや争いも引き起こした。
そして、今「原子力」による「火」に振り回されている。
つまり私たちは、プロメテウスの落とし穴に落ちたわけか…。
あれだけ大きな事故を起こし、今後もその危機に満ちている原発という存在。
人類は、「火」を我が物として自在に活用できる能力があると過信しすぎたのではないだろうか。
少なくとも、日本の権力者に、原発を社会を真の意味で豊かにする方向に使いこなす才覚はない。
まだ1巻目しか読了しておりませんが、正直な読後感はこんな風です。
たとえば、住民の避難計画のもとになるSPEEDIのデータをなぜ使わなかったのかを、本書から読み取ろうとすれば、そこには、組織への遠慮とか立場とかがあって、なんとなくかみ合わないまま…という当事者意識のなさ。
とにかく、愚にもならない理由がならびます。
そうして、多くの住民が、避けられたかもしれない放射能汚染に晒され、あいまいな情報しか流されないので風評被害が起こり…。
実は、こうゆう時にこそ、正しい方向に発動してほしい権力。
日本には、それを持つヒトの中に、巨悪も存在しないが、モノゴトを動かそうという、強い意志とか行動力とかも皆無のようです。
多くの良い動きは、たったひとりのチカラない市民の地道でしつこい努力によってしかなされていかないという事実も多く読み取れました。
読み進めるうち、思うのは「ああ、なんなのだこの国は…」ということ。
何度も何度も思ってしまいます。
希望と未来は非エリート的な人々によってつくられる
本書の著者である朝日新聞特別報道部が、原発事故の取材に着手したのは、事故のあった3.11より、数か月後で、記者たちは当初、もう取材する内容など何も残っていないのではないかと危惧したのだそうです。
しかし、ふたを開ければ手つかずのコトだらけ。
記者たちは、それをひとつひとつ丁寧につぶし、真実に近づき、書いて伝えた。
そのことが、読者に支持され連載はもう2年半の長きにわたって続き、被災地では、その知見が次のアクションにつながったりもした。
しかし、このようなあるべき姿のジャーナリズムを発揮したのも、新聞社のなかのエリートではありません。このチームのメンバーはどちらかといえば非エリートの寄せ集め。
もう、今の社会の在り方は時代にあっていない。
エリート層や現在、権力をその手中に持つ人々には、時代に沿った方向へは変化させられない。
本書はその証拠を読者に突きつけているかのようです。
だから、朝日新聞の人気コラムであるというのに、本書の出版元は、学研…というところにもちょっと深読みをしてしまいます。蛇足ですが…。