毎年2月11日は「建国記念の日」。
その日は、戦前まで「紀元節」と呼ばれていたのを知ってましたか?
「紀元節」は、神武天皇が即位したと推定される日を祝日にさだめた1日でした。
で、その神武天皇は、古事記や日本書紀に登場する日本の初代天皇ですが、実際に史実のヒトかといえば曖昧で、神話の世界のひとと言い切ってしまったほうがすっきりする存在。
その即位の日も、科学的根拠に薄いと言われる「日本書紀」の記述がよりどころとされていました。
つまり、日本という国は、アマテラスやらスサノオやら、もっと下ってオオクニヌシとかウミヒコ&ヤマヒコたちの奇想天外な神話、現代人にとってはファンタジーにも思える世界の中から生まれてきた。
…ということです。
ときの日本国家は、おおまじめでそんなことを言ってたの?
高校生のとき偶然、この事実を知って、やや驚愕したことを覚えています。
じゃあ、他の国の建国は?
当時、雑誌に乗っていたかっこいい情報や記事は、ほとんどが、アメリカとフランスあたり。
大きな影響をそれら記事から受けつつ過ごすティーンエイジャーにとっては、それでは、かの地の建国の日はどうなのかと非常に気になってくる。
いつになく熱心にしらべて、二度目の驚愕。
アメリカのそれにあたる日は、7月4日の独立記念日。
フランスは、7月14日のその名も革命記念日。国王専制国家の象徴であったバスチーユ牢獄を市民が襲撃し、フランス革命が始まったその日。
フランスもアメリカも、そうとうにリアルな国の始まりの日です。
うーん、じゃあ「紀元節」はいつ決められたのだろう?
いやいや「紀元節」は、神話がよりどころとされるという性格上、もうずっと以前、平安時代あたりに定められたものだからしかたがないのでは。
…と。高校生の私は、なんとか納得のしっぽを掴もうとやっきになります。
しかし、「紀元節」の制定は、明治6年(1872年)。
アメリカ独立宣言が1776年、フランス革命が1789年なので、それよりずっと遅いことになり、三度目の驚愕。
しかも、その後、日本は、日清戦争、日露戦争、そして2回の世界大戦と、きな臭い時代にずぶずぶと浸ることになり、「紀元節」は極端な国粋主義と軍国主義のよりどころとなっていきます。
「建国記念日」は、「紀元節」の密かな復活作戦?
そうゆう性格の祝日ですから、敗戦後は「紀元節」は当然廃止。
なのに、戦後たった6年目のサンフランシスコ条約締結の年、時の首相吉田茂は「日本が独立したあとは紀元節を復活させたい」と議会で発言。
その7年後の1957年には、「建国記念の日」という名称で祝日法改正案として国会に上程されます。
名前を変えても、戦争を鼓舞するよりどころとなった「紀元節」をルーツとする祝日ですから反対するグループもあり、なんども審議未了の憂き目にあいます。
しかし、なぜか、廃案になってはまた浮上を繰り返し、結局、1966年に2月11日は「建国記念の日」の祝日と定められ、現在にいたります。
事実だけを淡々と見れば、そんないわれを持つのが、日本の「建国記念の日」です。
そのよしあしの判断は、いまだ保留中。
なんども驚愕した10代のあの日から、時々思い出しては、書物なども紐解いてずっと考えつづけているのですが、私の中ではいまだ結論はでていません。
それでも、この日は「神の国だから他民族よりすべてが優れている」と妄想を抱いた日本人が、狂信的に戦争の日々に走っていった危うさを思う日と考えることにしています。
それを1年に1回、嫌でも思い出して確認する。
そうすれば、日本は、せめてまともに白いごはんを食べ続けられる平和な国でいられるのではないかと思うのです。