一重は終わり、八重が見ごろの山吹の花/旧3/27・丁卯

桜の最終リレーも終盤、八重も枝垂れも見ごろは終わり、散った花が根元をピンクに染める季節になりました。

花の頃は、上ばかり向いて歩きがちですが、それが散ったとなれば、視線はつられるように彩られた地面の方へ移る。

そこを狙いすましたように咲いている花のひとつが、この八重山吹の花です。

山吹八重2011411

ここ数日、花見でにぎわった桜並木はもちろん街路樹なんかの根元にも黄色い花がたっぷりと咲いております。

山吹伝説って知ってます?

江戸城を築城したことで有名な室町時代の武将・大田道灌が、突然のにわか雨にあった折、付近にあった農家で蓑を借りようとした。
ところが、その農家の娘は、蓑ではなくて、何故か黄色い山吹の枝をそっと差し出すのみでたたずんでいる。

これは、有名な「山吹伝説」の前半部分

道灌はさぞかし面食らったでしょうね。

「山吹伝説」の後半は、後拾遺和歌集の和歌「七重八重 花は咲けども 山吹の“実の”一つだに なきぞ悲しき」
…と、蓑=実のの掛け合わせだと謎ときがあり、貧しい農家ゆえに蓑のひとつもありませんと奥ゆかしく伝えたのだと、道灌は、あとで家臣に教えられます。
何にでも秀でた道灌でしたが、古い和歌に疎かった自分を恥じて、それ以後歌道に励んだと結ばれます。

貧しい農家の娘だというのに、当時をときめく武将・大田道灌すらも知らなかった古歌を操る。
ずいぶん聡い娘をキャスティングした伝説です。

なので、ついつい、室町時代の山間の貧しい農家の子どもが果たして古い和歌を解するほどの教養を身につける機会があったものだろうか…と余計な疑問。
あるいは、実はその娘こそ山吹の精で…と、無駄な妄想。

しかし、山吹の花に関する一番の疑問は、我がご近所には、なぜ山吹の群生地みたいなところがないのかしら?
ということです。

山吹伝説の場所候補の一例

実際、「山吹伝説」の場所は関東エリアに諸説あり、いづれもそれはココだと主張します。

我がご近所には、道灌坂、道灌山など太田道灌由来の地名があり、さら、日暮里駅前には、太田道灌像まで置かれた道灌びいきぶり、そこに便乗すれば良かったのになぁ。
…って、まあ、春の花去りゆく感傷による小さな希望にすぎませんが(笑)。

ということで、山吹伝説の地と主張する場所(の一部)は以下。

1.埼玉県の中央部にある越生町の歴史公園

かなり気合を入れて整備がなされ、公園内には約3000本ほどの山吹の花が植樹されているそうです。

2.豊島区高田あたり説。

神田川がこの界隈を流れるあたりに面影橋という橋があって、そのたもとに「山吹の里」という碑が立っています。
しかし、現代は、山吹というより川沿いに植樹された桜の名所。そこからほど近くには「 山吹の里公園 」というのもありますが、こちらはやや静かな主張といった感じです。
豊島区の公式ページにちらっと出ています(下から二番目)

3.荒川区町屋の泊船軒(はくせんけん)寺。

境内には、立派な「山吹の塚」が堂々たっております。

私が知っているのは上記の3ヶ所ですが、ほかにもいろいろありそうです。

大田道灌への絶大な人気もあるでしょうが、かつて関東平野には、この山吹が各所に野生化していたのかもしれませんね。とすれば、山吹の花が満開になれば、あたりは陽気な黄色に染まり、「それで幸せならば、どこにでも作ってください伝説の場所」ということでいいかなぁ…なんて(笑)。

八重山吹は、本当に実がつきません

八重の品種は、和歌で詠まれたように種(実)で命をつなぐのではなくて、地下茎を伸ばしてあたりに広がり繁殖してゆくのだそうです。

一方、ソメイヨシノが満開のころに一足はやく見ごろを迎える一重山吹の花。

白も…。
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黄色も…。

一重山吹20110401

桜の季節が終わるのと同時に散って、やがて、堅い実を結びます。
どちらも同じバラ科ヤマブキ属の落葉低木だというのに不思議です。

植物の世界には、こんな違いもあるんだと、その美しさや山吹伝説以上に、その生態に密かに興味引かれる花でもあります。

◆今日は、2014年4月26日/旧暦3月27日/弥生丁卯)の日