今日5月5日は、端午の節句です。
江戸末期に活躍した浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景」の中に、富士山を背景に鯉のぼりが勇壮に泳ぐ絵があって、そのタイトルがなんと「水道橋駿河台」。
→こちらでご覧ください。
「水道橋駿河台」は、いまなら御茶ノ水あたりの高台で、江戸時代には、そこから富士山まで景観をさえぎるものは何もなかった。
描かれるのは、ただひたすらに端午の節句飾りが幾重にも連なりずっと続いている様子。
掲げられる飾りは、鯉のぼりを含む「幟」と「吹流し」です。
それらは、七歳以下の男子を持つ家々が、男子誕生の喜びを世間に知らせ、子どもの健康と出世を祈願するために戸外に高々と飾られました。
やはり、「鯉が滝をのぼれば龍になる」という伝説による「鯉のぼり」がダントツの主人公だったようですが、ほかに常紋付きの幟旗…時代劇の合戦シーンに登場するアレです…一対を屋敷の門口に立て、さらに髭もじゃの錘馗様の姿のものも見えたはずです。
広重の絵にも、それらは過不足なく描かれていて、ヒロシゲブルーの五月晴れの下、みなみな気持ちよさそうにはためき泳ぐ。
とても清々しく美しい江戸の景観を形作っています。
ビルだらけで、鯉のぼりをかざる場もない現代に住めば、同じ場所だというのにと…羨ましくなる。
が、東京の空にも、案外ちゃんと鯉のぼりが泳いでおります。
たとえば、マンションのベランダとか。
これは、東京ではよく見る光景。
泳ぐ鯉のぼりも、ミニサイズなららも、吹き流しもきちんとついた本格派です。
下町をそぞろ歩けば、感じのいい板壁にも。
改装中の家にも、鯉のぼりが当たり前のように泳いでいるし(笑)
こちらは、三階建てのビルの屋上。
遮るものが何もないと、やっぱり鯉のぼりはいきいきと泳ぎます。
小さなサイズのふとんが干してありますが、それまで、なんともキモチ良さそうでして…。
鯉のぼりで祝われる子は、今夜おひさまの匂いに包まれながら大の字になって眠るのかしら?
うーん羨ましいっ!
先日、途中下車したJR巣鴨の駅前にも堂々立っておりました。
そして極め付けの集団泳法!
東京タワーの膝元では、今年も鯉のぼりが集団で泳いでおります。
端午の節句の由来と変遷を少し
端午の節句は、他の節句同様中国から伝来した風習ですが、平安時代当時は、江戸以降のものとはやや趣を異にします。
五月という季節の変わり目を悪月と考え、「菖蒲」や「蓬」を使って厄災を祓うというのが主な行事で、男子の誕生祝いやら出世祈願やらは当時、その片鱗もありません。
旧暦五月は、現在の六月。
やがて盛夏に入ってゆくにしたがって様々な病の恐怖に心を煩わす時期で、芳しい香りから霊力が宿ると考えられた「菖蒲」を屋根にかけたり、酒に浸して菖蒲酒にしたりして、端午の節句を過ごします。
そうして、厄災を祓ってもらおうとしたのです。
やがて、歴史に武士が登場し、「菖蒲」が「尚武」(武運、軍事を重んじる意)に通じると、武家の行事と変化します。
これが、現代につながる原型。
江戸時代には、商売で富を得た商人たちが、幟や五月人形に贅を尽くすようになり、庶民にまで裾野を広げてゆくことになります。
もちろん江戸時代も、人々は、菖蒲の葉を玄関口に飾り、菖蒲酒を飲み、湯屋でも菖蒲湯をたて、客はいつもの料金に祝儀の金を加えて少し多めに湯銭を払うようなことも行われていたようです。
子どもたちだって、菖蒲を頭に巻いて鉢巻に、葉っぱを刀に見立てて腰にさし、合戦ごっこに興じたりもした。
広重に描かれた江戸の空の下でも、やはり「菖蒲」は重要な節句アイテムで、厄払いの象徴とされていたようです。
考えてみれば、江戸時代にも、流行り病の脅威は大きく、そもそもあった厄災払いの風習が廃れるいわれもありません。
実は、江戸の空に掲げる、端午の節句飾りは、幕府から「火事の際に消火の邪魔」という理由で何度も禁止令が出され、いったん廃れてしまったそうです。明治の頃に、軍国主義の台頭におされる形で一時復活、紆余曲折を経て、今に至ります。
そして、空が狭い現代の都会の状況は上記のごとく。
狭いながらも、鯉のぼりのいる風景は、暢気でいいかんじです。
かつて、病や水害や旱魃など抜き差しならない厄を祓ったように、今も、こののほほんとした佇まいこそが、ささやかな日常を守ってくれるように思うのです。
だって、どんなにカッカイライラしても、見上げれば青空にこんな暢気なモノが泳いでいるって、なんか、そんな自分が、ばかばかしくなるでしょ?
どうかしら?
◆今日は、2014年5月5日/旧暦4月7日/卯月丙子の日
コメント
今年は事務所移転事務局としてGWは出勤となり、大好きな高知に行けずですが・・・
高知の端午の節句の空には、フラフというものが鯉のぼりとともにはためいております。
↓
http://www.webkochi.net/waza/furafu.php
明治の終わり頃からの風習とのことでしたが、フラフ染め専門店のページでは宝永7年よりやっていると書かれてました。
↓
http://www.fukunagasome.com/
ともかく今年は高知らしい端午の節句を現地で味わえないのが残念です。
今日もこれから出勤です。 ではでは・・・