薔薇の美しい季節となりました。
椿や桜の頃が過ぎた、春と夏の端境期あたりは、まだモッコウバラが咲くばかり。
非常にまれながらもこんな光景にも出くわしたりして…。
遅咲きの乙女椿にモッコウバラを這わせたみたいで、ちょっとステキっ!
モッコウバラは、黙って咲いて、いきなりあたりを黄色く染めるもんだから、「黙考薔薇」かとおもっていたら、「木香」。
顔を近づけると、ほんのかすかに良い香りがします。
それが、ゴールデンウイークを過ぎたあたりから、さまざまな種類の薔薇が大炸裂。
ちょっと気の利いた庭には、くまなく薔薇が配されてるみたいな気がする。
古いアパートの入口だって、バラのアーチがあれば、ゴージャス感たっぷり。
もうこの時期は、雑草以外の花といったら薔薇といってもいいぐらいです。
もうもう、たわわに咲いている…って感じ。
日本は、薔薇の自生地だって知ってました?
洋館の庭に咲き誇ったり、「バラ園」といえば、なんとなく洋風庭園風。
そもそも、薔薇を眺めていると、つい口をついて出るあの歌「童は、見ぃたぁり~、野中のばぁらっ♪」なんかは、ゲーテの詩にシューベルト作曲ですから、そんなこんなで、薔薇は西洋の花で、近代に入ってから日本に渡ってきたものぐらいに思ってました。
しかし、日本はバラの自生地として世界的に知られている場所なんですって!
薔薇の園芸品種としての歴史はずいぶん古く、古代ギリシャ・ローマ時代あたりからは、交配種が作られたり香油が珍重されたり…とか。
現代になっても、世界中の園芸家や研究者たちが、新しい品種作りにしのぎを削り、薔薇の品種は1万とも2万とも、いったいどのぐらいあるのだろうかと言うぐらい、膨大な種類があるようです。
しかし、その原種は、約8種とか10種とかと意外に少なく、そのうちの3種「ノイバラ」「テリハノイバラ」「ハマナシ」は、なんと日本原産種なんだそうです。
薔薇の日本自生の痕跡を探す
つまり、可憐な野いばら系だったら、昔から日本に自生していたということ。
となれば、美しい花に目がないわが祖先たちですから、どこかで歌に詠んだり、物語に登場させていないわけがありません。
一応、古いところから探してみました。
◆『万葉集』の時代はどうかとあたれば、少ないですがやはりちゃんとありました。
「道の辺の荊(うまら)の末(うれ)に這ほ豆の からまる君を離(はか)れか行かむ」
これは、丈部鳥(はせべのとり)という上総の国(今の千葉南部あたり)の防人の和歌で、遠く筑紫の国(今の九州)へ旅たつ間際、親しい人への心情を詠んだ。
意味は、「道ばたの野茨の枝先に這い絡まる豆蔓のように、すがりつく君を残して、どうしても行かなければならないのか」ぐらいの感じでしょうか。
ちなみに、荊(うまら)というのが、野茨(ノイバラ)のこと。
この和歌から、万葉集の時代は、道端に普通に生えていた植物だったことが読み取れます。
◆平安時代なら『源氏物語』はどうか?
「乙女の巻」にて、源氏が愛する女性たちを住まわせる目的で作った邸宅・六条院が完成し、その庭に薔薇も植えられていたという記述があります。
「昔覚ゆる花たちばな、なでしこ、薔薇、くたになどやうの花、くさぐさを植えて…」
ちなみに、当時は、「薔薇」の読みは「しょうび」とか「そうび」とかだったそうですが、ともかく、この時代には、もう庭園には薔薇が植えられていた。
もちろん今ある大輪の薔薇ではなく、もっと楚々とした花でしょうが…。
こんな感じ?
しかし、日本と薔薇は、これほど昔からなじんだ関係だったとは驚きです。
もっと近い時代はどうでしょうか?
◆江戸時代にも、薔薇は、ちゃんと代表的な夏の季語としての扱いがあり、蕪村が詠みます。
「愁ひつつ岡にのぼれば花いばら」
◆近代の俳人、正岡子規も薔薇の句をたくさん読んでいました。
たとえば、「茨さくや根岸の里の貸本屋」は、明治26年、新聞記者になりたての若き子規の一句。
そういえば、根岸のあたりの下町では、のっぱらに野茨とはいきませんが、今も民家の庭先から白い茨が顔を出すのに出会えます。
時期は過ぎましたが、民家の石塀を覆うように小さな花が群れ成してさくモッコウバラなどもおなじみの光景。
こうしてみれば、薔薇が華やかに咲く様子も、なんとなく慕わしく、日本らしい光景にも思えてきました。
薔薇といえば、即連想するのが華やかな大輪の花。
なのでなんとなくバタ臭い感じがして、そこに惑わされていたんでしょうね。
今年は、薔薇の花たちをちょっと違ったまなざしで眺めて歩くことになりそうです。
◆今日は、2014年5月18日/旧暦4月20日/卯月己丑の日