最初に見たのが「薊」という字。
草冠はついているけれど、下には「魚」の字を持っているせいか、とても野に咲く植物には思えません。
しかし、読みが「あざみ」だと知れば、ああ、あの花と馴染み深い。
あざみは、春に咲く種類もあると聞くけど、私が出くわすのは、必ず、夏が始まろうとする今ごろ。
群生することなく、すくっと一株が立ち上がりピンクや赤ムラサキの花を咲かす。
ヒトは、ある日唐突にそこに出くわし、なんだか無性に嬉しくなるのです。
が、嬉しくなっても触れるにはご注意!
アザミ属の植物は、可愛い顔して葉や花の下の総苞の部分に棘をたくさんもっていて、侮って触るとかなり痛い。
…じっさい、無謀にも触ってしまって、かなり痛いっ!
加えて、今頃にあざみならば、その総苞がちょっとねばねばしていて気持ちも悪い。
そもそも、「薊」という字。
草冠はいいとして、その下には「魚」に「刀」を持っている。
つまり「魚の骨のように細かい棘で刺しますからね」と、注意喚起しているようなものです。
花も葉っぱもその造作がなんとなく面白く、全体のバランスも良し、その辺に出てくる雑草にしては茎もがっちりとして扱いもしやすそう。
ひとついただき家にも飾りたいなぁ…という気にもさせる花だというのに、なんとも惜しいっ!
雑草・野草であっても、そうそう気安く付き合える花でもないのです。
何の準備も無くて不意にこの花に出会ったのなら、まずは、寄らず離れず、適正な距離をとり、眺めて楽しむだけにしとくのが良いかもしれません。
扱いにくいあざみのくせに、実は、食用が可能。
ある日、食関係のシゴトをナリワイとするヒトに、青森の朝市で薊の若芽が売られていたからと、お土産をいただいたことがあります。
もちろん花もつぼみもつかないうちに食用で売られるモノで、観光客などそれがあのあざみと気が付かない。
いただいた菜っ葉は、あの花咲くあざみが同一と教えられちょっと驚いた記憶があります。
あとで、青森出身の方に聞けば、スーパーなどで時々、山菜として売られいるんだとか。
もらったモノの、ちょっともてあまし気味気分を露骨に顔に出していたんでしょう。
「ああ、そうか!」と、そのヒトは、ひとこと言って、いったん、お土産を取り返し(笑)、翌日、調理したモノをいただきました。
ふつうに茹でて、胡桃で和えたのと、きんぴら…だったか?
もう、ずいぶん前のコトなので、記憶がかなりあいまい。
ただ、棘がある葉物でもゆでれば気にならないんだなぁというのと、普通の山菜と同じ野趣ある風味だったかと。
さて、都会のあざみは…。
食べられもせず部屋に飾られもせず、採取されること無くそのまま育つ都会のあざみ。
すると、盛夏のころには、茎の高さはずいぶん高く、土地の栄養がよければ、50cmぐらいにもなって花もたくさん付けることすらあります。
空き地の前を横切って、ふと視界に気になるオブジェ…?
と思って見返して、巨大に育ったあざみの一株。
他の雑草との調和なんぞはものともせずといった風体で、空き地に堂々目だって育っているのに出会うこともあります。
つまり、都会の空き地であざみが咲くのを見つけたら、そのまま、そっと成長を見守るが正しい。
花は、順番に花開き、秋口ぐらいまでけっこう長く咲き続けます。
そして、最後は、こんな風に順次綿毛に変わってゆきます。
綿毛は、風に吹かれてまたどこか思いがけない場所に飛んでゆき、またそこに根を降ろし、他の誰かを楽しませることでしょう。
おまけ:どうしても確実に見たいなら…。
向島百花園には、毎年律儀にあざみが咲きます。
…たぶん。
こんな花を、去年も、一昨年も、ちょうど今頃、確かに見ました。今年はどうかな?
◆今日は、2014年6月4日/旧暦5月7日/皐月丙午の日