ギリギリになってしまいましたが、7月7日の二十四節気「小暑」に連なる七十二候は、今日まで「温風至」。
読みは、「あつかぜいたる」となりますが、まだ「熱」でないところが救いでしょうか?
しかし、2014年は、台「風」が猛威をふるう日々になってしまいました…。
梅雨が明けないうちにやってくる「台風」は、「温」というより「熱」が似合いそうな夏を運んできてしまう。
やはり、今年も、暑さへの覚悟と対策が必至です。
そのひとつが、なるべく涼しげなモノを愛でるというコトでしょうか。
まあ、気はココロです。
今の時期なら、そこだけ涼やかに咲く夏椿の花なんかどお?
この白い花。
姿カタチを愛でるにしても、「夏椿」という美しい名前も、なんとも涼しげな印象を醸す花ではないですか?
実は、この花、「娑羅(しゃら)の木」というさらに美しくも格調高い別名も持ちます。
それは、お釈迦様の涅槃のときにそばに咲いていたといわれる「沙羅双樹」の花と、かつてときどき間違えられりしたからなんだそうです。
仏教の聖樹「沙羅双樹」は、寒さに弱く、まさにお釈迦様の故郷インドのような気候の場所でしか育ちません。
それでも熱心な仏教徒たちなら、やはりその花をひとめもふためも見たかったのでしょう。
夏椿の花を見れば、思い高じてその花が「沙羅双樹」と思ってしまったのもわからないではないのです。
仮に、想像の中で、お釈迦様の涅槃絵の傍らにおいても、けっして出しゃばらず、しかし見劣りもしない存在感。
そんな雰囲気を持つ花だからこそ、多く間違えられて思い込まれ、そのうち「沙羅双樹」にあやかって「娑羅(しゃら)の木」と名づけられたものでしょうか。
確かに、仏教寺院の庭の片隅に、ときどきこの白い花を見つけることがあります。
「娑羅の木」といえば、鴎外の花
かつて森鴎外の住まった街に住む私としては、この花は、お釈迦様というより、鴎外の花。
うーん、このふたりを並べていいのかどうか微妙ですが…。
やっぱりこの花は、森鴎外が晩年に住んだ観潮楼跡の「娑羅の木」がいちばん慕わしい感じがします。
観潮楼跡は鴎外記念図書館となり、さらに改装をほどこされ、今は森鴎外記念館となっています。
かつて図書館から中庭に出ると、梅雨のさなかから盛夏の始まりの頃まで、いつも正面奥にひっそりと白い花が咲いていました。
傍らの壁には、この「沙羅の木」の詩が彫られた石碑があり、本物の沙羅の木の手前には、詩に登場する「根府川石」と「三人冗語の石」。
実は、記念館となってからは足を運んだことがないのですが、サイトをみれば、それらはまだ健在なようで、カフェに座って眺めながらお茶ができるようになったみたいです。
「三人冗語の石」は、森鴎外・幸田露伴・斎藤緑雨がこの石の前で写真を撮ったことから、この名が付いた石
この三作家が活躍した時代の本が、好きなものとしては、さもない石が、もうそれだけで贅沢です。
褐色の根府川石に
白き花はたと散りたり
ありとしも青葉がくれに
見えざりし沙羅の木の花
これは、森鴎外が、沙羅の花こと「夏椿」を愛でて詠んだ詩。
そして、ある日、この詩のあとに「森林太郎先生 詩 昭和廿三年六月 永井荷風 書」と見つけるにいたっては、一介のファンとしては、ああ、なんと贅沢なものだわと打ち震えたものです。
そんな贅沢な庭を、夏椿は、ただひっそりと見つめている。
そして、それを 美しいと見つめるものの前で、本当に白い花のカタチのままに「はたと散る」のです。
同じツバキ科の花でも、早春に咲く椿は、血の色・赤の花がそのままポトリと落ちれば、武将たちに嫌われたというのもわかるものですが、それが、白くなれば、散るといっても花が一指し舞ったかのような…。
印象がずいぶん変わるものです。
夏椿は、朝に開花し、夕方には落花する一日花。
一輪二輪の咲き始めの頃は、葉の中に隠れてなかなかそれに気づかず、足元に落ちた花を見てその開花に気づかされます。
そして満開近くまで咲くようになれば、また散る花も数多くなり、根元にもう一度満開の花を咲かせたようにも見せながら、やがて何かひっそりと儚いもののように消えてゆきます。
それでいて、何かうちに秘めたる強さのような雰囲気もあり…。
そんな印象もある花ゆえに、お釈迦様にゆかりある花と思われたのも少しわかるような気がするのです。
さて、この花が満開になるころは、例年、梅雨が開ける頃。
涼しげな「夏椿」の上にも、そろそろ、盛夏が始まります。
ああ、覚悟、覚悟の暑い夏です←暑いのが相当にキライ。
◆今日は、2014年7月11日/旧暦6月15日/水無月癸未の日