東京は新暦盆。
7月の七夕を過ぎたあたりから、寺町の界隈は、お盆仕様の景観に変わります。
そのひとつが、寺の本堂入口に飾られる「切子燈籠」。
宗派によっては、掲げられないところのほうが多いみたいなのですが、根津・谷中あたりの山門からちょっと覗くと、けっこうな確率で「切子燈籠」に出会うことができます。
ほら、こんな風にね。
「切子燈籠」は、木と和紙だけで作られて、風情あるもの。
基本は、立方体の角を落とした切子形の灯篭に長い紙を吹き流しのように配したカタチ。
細部は、いろいろに凝っていて…。
たとえば、吹流しの部分の切絵とか。
…蝶々にタンポポ。
ちょっと季節ハズレですが、夏にモンシロチョウが飛んでいたら、もしやご先祖様なのかもしれない?
…などと妄想します。
他に、吹き流しに工夫がほどこされたり、ぼんぼり付きやらと意匠もさまざま。
これが、配される7月上旬は、いつもはシンと静かな寺の境内に控えめながらも華やかな雰囲気に。
となると、このようなモノが好きでたまらぬ者(←主として私)は、ついつい、あっちの山門こっちの山門と覗いて歩く羽目になります。
根津・谷中・千駄木は、「切子燈篭」の密集地帯
この「切子燈篭」の飾りつけを眺めたければ、根津駅から谷中と善光寺坂をのぼる際に、左側に並ぶお寺の山門を覗きつつ歩くのがいいかも。
そして、坂をのぼりつめたら、路地を入って谷根千名物モミの木とミカドパンの四差路あたり、その界隈のお寺にも集中しています。
他には、谷中銀座からほど近いお寺にも。
ということで、私が見つけた「切子灯籠」をここに一挙公開してみましょう。
◆まずは、谷中銀座ちかくから。
これは、ゆうやけだんだんの下から、初音の森へ向かう小道に入り、その道に面した長明寺のもの。
本堂のガラスに映りこむ枝垂桜の緑をバックに涼しげです。
…っていうか、この切子灯籠って、風をうけてさやさやと動く、その涼しげなところが風情ですよね。
このお寺は、近年、本堂が新しくなり、切子灯籠も新調したのかしら?
なんか清々しいたたずまいです。
そのまままっすぐ行って「萩寺」と呼ばれる寺にもこんな感じで配されています。
夕やけだんだんに戻り、階段を登って日暮里駅に行く途中の延命院のもの。
そして、別名月見寺と呼ばれる本行寺にも…。
そういえば、本行寺でこの写真を撮らせていただいたとき。
本堂の扉を大きく開け風をいれ、この灯籠の下、(たぶん)住職様が、汗をかきかき大量の卒塔婆にひとつひとつ文字をしたためていらっしゃいました。
◆根津の善光寺坂沿いなら…。
坂上にある一乗寺のもの。
そのならびにあるお寺(名前失念!)のは非常に幽玄な感じです。
そして、いちばん上の写真の灯籠に火がともったところ。
お寺は、同じ並びにある本光寺です。
坂をのぼりつめたら、路地を入って谷根千名物モミの木とミカドパンの四差路あたり、その界隈のお寺にも集中して飾られているみたいです。
戸外に飾った灯篭は、ご先祖さまへの目印でした。
江戸時代には、ご先祖様のお帰りになる目印に、家々でも戸外に燈籠を飾ったそうです。
そして、その灯籠の下で迎え火を焚くということが当然のことのようになされていた。
江戸の風俗や年中行事をまとめた書物の「お盆」の記述のあたりには、たいがいこの燈籠の話題に触れられています。
たとえば、『江戸の歳事風俗誌』 (講談社学術文庫)には、「町方では、江戸市中、裏長屋のその日を送る生計の家でもかならず燈した」とまで記されています。
もちろん、燈籠の種類もいろいろあって、裏長屋の狭い軒下に出す小さな箱型のものから、庭先や門口に高い竿を立ててその先に燈籠をつける「高燈籠」というものまで、写真の切子燈籠以外にもいろいろなカタチのものがあったようです。
江戸の町には、6月末ぐらいから早々に燈籠売りが商いにやってきた。
というのも、書物から学んだちょっとステキなこと。
じりじり暑くなり始めた夏の空気を震わせるように「ちょうちんやァ、盆ぢょうちん、ちょうちんやちょうちん」と売り歩く行商人もずいぶんいたんだそうです。
そうして家々で今年の燈籠を求め、作法にのっとり戸外に飾る。
明かりは少ないですから、ぼんやり暗い町中を、燈籠の灯でポツンポツンと彩られる盆の風景たるやずいぶん美しいものだったんじゃないでしょうか。
旧暦時代のお盆のあたりは、かならず十五夜の満月前後。
月明かりにしっとり照らされた江戸の道々、裏路地まで点々とともる灯は、それだけで街を幻想的に飾ったものかもしれません。
最後に、お盆の風習のおさらいを
現代のお盆は、そこまでの幽玄さは持ちませんが、やっぱり特別な日々であることには変わりなく。
多くは、スーパーや八百屋のいちばん目立つあたりで盆用品が売られはじめることから始まって、一昨日は、迎え火を焚くお宅もみかけました。
なので、せっかくですから、ちょっと、お盆の風習をおさらいしてみましょうか。
◆釜蓋朔日(かまぶたついたち)
7月1日は地獄の釜の蓋が開く日でもあり、釜蓋朔日と呼ばれてる日。
この日がお盆の始まりとなります。
まずは、ご先祖様のお迎えの準備。
道具を出して確認したり、お墓へ出かけ雑草を刈ったりしてお掃除をする。
ちなみに、我が家の田舎の墓は、小川沿いにあり、幼い頃、墓掃除をするオトナのそばで遊んでいると、「地獄の釜に落っこちるから、川に近づいてはいけないよ」とよく言われたのを覚えています。
水難の多い夏の日々の注意を釜蓋朔日かけたものでしょうか?
◆棚幡(たなばた)
7日には、精霊棚を作ります。
七夕をたなばたと読むのは、これが由来とか。
実際、この日=七日の夕刻から、精霊棚に笹や幡などを安置する。
これが、日本独特の七夕笹飾りに似てます。
となれば、仙台ほかの大掛かりな七夕飾りも、切子灯籠の影響を受けているんでしょうね。
カタチがそっくりですもの。
◆迎え火
13日の夕刻には、家の門口の燈籠に火を入れて、その下で乾かしたまこもを燃やし迎え火(むかえび)をします。
ご先祖様は、精霊棚に飾った胡瓜の馬に乗ってさっそうとやって来ているはずです。
◆そして、14日、15日とゆっくり我が家に滞在いただく。
帰ってきていると思えば、なんとなく、近しい故人の思い出話をしながら過ごす2日間になりがちですが、聞けば、けっこうそうゆうお宅は多いらしいです。
そして、このどちらかで菩提寺へ出向き、盂蘭盆会の法要も行われます。
◆送り火
あっという間に16日で、ご先祖様は、もうあちらの世界へお帰りになります。
今度は、太った茄子の牛にまたがって、惜しむようにゆっくりゆっくりと帰ってゆく。
迎え火同様に門口で火を焚いて送り火(おくりび)をします。
月遅れの8月の行事ですが、京都の五山の送り火が全国的にはいちばん有名でしょうか。
そういえば、「大文字さん」と呼ばれるあれが、盆の送り火と同じ意味を持つものだと知って、雅な街を造って逝ったご先祖様方は、やはり雅なカタチで毎年送られるのだなと感心したことがあります。
◆盆踊り
基本的には16日の晩に行われるのが本当。
寺社の境内などに櫓をたてて、笛・太鼓に音頭とりの音頭。
それに併せ、浴衣装束の老若男女が輪になって踊ります。
かつては、踊りながら群れ成して練り歩く群行型の盆踊りというのあったらしいのですが、まだそのスタイルの地域があるのかどうか?
盆踊りは、ご先祖様を見送る行事と教えられ育ちましたが、調べてみれば「地獄での苦しみを免れた亡者たちが、嬉しくて踊る姿」という説もあるそうです。
これって、地獄の亡者と、ご先祖様のお見送りの行事と、いったいいつどこで融合してしまったものでしょうか?
どちらにしても、旧暦時代なら、前日は満月。
そしてこの日は、十六夜(いざよい)です。
空が晴れれば、ずいぶん遅くまで踊ることも可能だったことでしょう。
◆精霊流し
ご先祖様の魂を弔って灯籠やお盆の供え物を海や川に流す精霊流しは、一般的には、お盆の行事、送り火の一種とされるそうです。
送り火で送り、さらに盆踊りでも盛大に送り、精霊流しは、さらにあけて17日ごろに行われることが多く。
よくよく考えてみれば、お盆を締めくくる行事とは、ずいぶんしつこく執り行われるものです。
…といった感じで、月遅れで行う故郷の風習と東京下町の風習がややまぜこぜになっている感はありますが、そこはご愛嬌ということでご勘弁ください。
燈籠こそ一部の寺の風習となってしまいましたが、こんな都会の真ん中でも、さまざまな盆の作法はまだ生活の中に息づいています。
そして、ひとが逝き、それを弔うひとが続くかぎり、なんだかんだといっても、日本からこの風習はなくならないんだろうなとも。
ならば、古式ゆかしき作法にのっとり、味わいながらそこにわが身をおくのも一興なのではと思うのです。