重陽の節句の古式ゆかしい行事「菊被綿(きくきせわた)」。
…って知ってますか?
菊の上に、パフパフと柔らかな綿を乗せたかわいいものが「菊被綿」といって、平安時代のアンチエイジングの道具です。
「菊被綿」は、不老長寿を願って、重陽の節句に行われる行事
…ですから、まあ、うそではないかな?
あながちはずしてもおりません…ぐらいにしとこうかしら。
『日本年中行事辞典 (角川小辞典 16)』(鈴木 棠三著 角川書店)にその詳しい記載がありました。
それをもとにこの「菊被綿」の作り方をまとめてみましょう。
・9月8日(重陽の節句前日)の夜に菊の花をひとつひとつ真綿でおおったのを作ります。
・それらを一晩屋外に置き、秋の夜露朝露をたっぷりと帯びさせる。
・翌朝(重陽の節句当日)、その真綿で顔やカラダをぬぐう
→めでたく不老長寿が保たれる
…という具合。
おおっ、これって、マジで、年に1度のアンチエイジングの行事です!
重陽の節句の伝来元の古代中国では、菊は仙境に咲いている花=邪気を祓い寿命を延ばす効能がある
…と信じられていました。
その伝承をそのまま踏襲する行事だったのでしょうが、このパフパフしたものを時の貴族たちがこぞってカラダに擦り付けていた様を想像するとちょっとかわいいですよね。
宮中の行事としては、平安前期の宇多天皇のころに始まったとされ、その後、明治時代までは皇室行事として行われていたんだそうです。
杉並区の大宮八幡宮では、「菊被綿」の行事を再現!
ということで、数年前一路訪ねてみたら、都会の真ん中に鎮守の森が大きく広がる中に鎮座する神社。
重陽の節句から数日たったその日も、菊被綿を乗せた菊は、清涼殿のホールを美しく彩っておりました。
菊はそれぞれ真綿の帽子を乗せているかのようで、なんだかとっても可愛らしいです。
この綿の乗せ方にも作法があって、「白菊には、黄色の真綿。黄色の菊には赤い綿、そして赤い菊には白い綿で覆う」のだそう。
たしかにそうなってますね。
この作法は『後水尾院当時年中行事』などの記録によるものだと、傍らに置かれた解説文にあって、後水尾天皇は江戸初期の方ですから、この作法は時代がずいぶん下って近世に入ってからのもののようです。
さらに、その後、綿の上に小さい菊綿をしべのように載せることになったり、重陽の日に菊が咲かなかった年には綿で菊の花を作って代用したりと細かく取り決められていったようです。
この菊被綿にも「菊綿のしべ」がもちろんのっております。
それがますます可憐さを演出してもいる。
こんな可愛らしい見かけで、長寿の意味づけがあるとなれば、行事としての重要度が高いのはなんとなく納得できるというもの。
大宮八幡宮の「菊被綿」は、平成11年の平成天皇の即位10周年記念お祝い。
重陽の節句の前日、9月8日夕刻には、神事も行われます。
巫女さんたちによって菊に「菊被綿」が乗せられて、あけて9日の早朝、露をたたえた真綿を神前にそなえられる。
菊の真綿は、カミサマにお食事を差し上げる御日供祭(おにっくさい)にあわせて奉納されるそうです。
で、我が家からちょっと遠い杉並の地のせいか、毎年お参りができずに今日。
うーん、今年の「菊被綿」の展示は、本日「敬老の日」と明日を残すのみ。
またも、ずるずるだらだらと、訪ねるのを日延べして、とうとう今日までなってしまいましたっ!
今年こそは、この希少な重陽の節句の菊を再訪しなければ、やや焦り気味の私であります(苦笑)
◆今日は、2014年9月15日/旧暦8月22日/葉月己丑の日
◆日の出 5時23分 日の入17時49分/月の出22時13分 月の入11時37分
◎大宮神社の公式サイト→コチラ