昔、雑司が谷・鬼子母神のあたりはすすきが茂る広いのっぱらだったそうで、いつしかそのすすきで一体の可愛いみみずくの人形が作られた。
それが…。
雑司が谷界隈に長く伝わる郷土玩具「すすきみみずく」です。
先日の鬼子母神の御会式では、境内に露店が出て大賑わい。
そこで買ってきたものですが、10月後半の東京は、行事が立て込みすぎ。
お披露目のタイミングを逸していました。
ルーツは、親孝行の娘のお話
郷土玩具の多くが、作者不詳であるように、このすすきみみずくもアノニマスな存在。
しかし、このすすきみみずくには、親孝行娘の伝承があります。
その娘の名は、おくめ。
母一人娘一人で生活しておりましたは、母親が重い病気にかかってしまいます。
おくめはいっしょうけんめい看病しますが、よくならない。
貧しいので、薬も買えず。
住まいの辺りには、芒のほかには、病気に効きそうな薬草も生えておりませんでした。
おくめは、毎日毎日、鬼子母神に祈りました。
「どうか、お母さんを助けて下さい。」
そして、ちょうど百日目に、おくめの目の前に美しいチョウが現れ、お堂の周りのすすきを取って
人形をつくり、それを参道で売るようにと教えてくれます。
そうして、出来上がったのは、可愛いすすきのみみずく。
もちろん「鬼子母神様のお守り」として飛ぶように売れ、おくめは売ったお金で薬を買って、母親はすっかり元気になったんだそうです。
(『すすきみみずく物語』より。鬼子母神サイト)
リアルな発祥は、江戸時代後期。
当時は、庶民の間にも、すっかり貨幣経済が浸透した時代。
このすすきみみずくも、貧しい町民、農民たちがささやかながらも銭を稼ぐ手段として作り広まったものなのではないかと思われます。
売り出し場所は、周辺の寺の参道=鬼子母神参道にして、多くの買い手を当てにするなら、もちろん縁日や祭りの日に露店を出す。
せっかくだから、その寺に由来するお話(=親孝行のおくめのお話)を作れば、単なる玩具もありがたい存在となって、雑司が谷鬼子母神の参詣土産として長く販売されるかも。
現代の言い方でいえば、マーケティングもPRも完璧。
それがバッチリ成功し、長く続いて、今に至ったということでしょうか。
ちなみに、江戸の末期に描かれた歌川広重の「雑司ヶ谷之図」にも、すすきみみずくをもって嬉しそうに母に連れられてゆく子どもが描かれています(国会図書館「雑司ケ谷之図」 左下の子供がすすきみみずくを持っています)。
とすれば、もう発祥当時から人気を博し、雑司が谷を語る重要アイテムであったかもしれません。
それにしても江戸人たちのセンスとアイデアの秀逸さ。
あたりに無尽蔵に生えている素材を使い、折って束ねて目鼻をつけるというだけで、これだけ可愛い人形を作ってしまう。
よくよく見てもすばらしいデザインですよ。
顔なんてものすごく愛くるしい。
たいしたものです。
そして、きちんと信仰の場由来の物語を考え、その玩具に代替のきかない価値を与えてしまう知恵。
一方、この小さなすすきみみずくが鬼子母神さんのご利益を背負って、さまざまな家庭に運ばれたなら、それは、鬼子母神さんをPRもしていたということです。
しかもそうと気づかさずに、さりげなく。
こういった例は、多くの寺社から授与される縁起物それぞれにも当てはまり、参道で売られたそれぞれは、金儲けの域を超え、ココロの豊かさみたいなものを売ってもいたような気がします。
やっぱり縁日で買いたいけれど…
新しく手に入れられたいなら気分的には芒が茂るちょうど今頃がおすすめ。
「御会式(おえしき)」の日の露店からが、霊験あらたかな感じもしてベスト。
それか、初夏のころの夏市とか。
…といっても、ぜーんぶ過ぎちゃいましたね、
今からでも、ほしいなぁ…というなら、鬼子母神からほど近い、雑司が谷 案内処で扱いがあるみたいです。
ここでは、作り方の講習会もやっているみたい。
ここで、習って、河原で芒をとって、自分で作るというのも、いいかもね。←すっかりその気になっております。私。
◆今日は、2014年10月22日/旧9月29日/長月丙寅の日
◆日の出 5時53分 日の入16時58分/月の出 4時03分/月の入15時59分