やーっとやってまいりました旧暦10月の今日は最初の亥の日。
今年は、9月に閏月が入って=つまり旧暦の9月が2か月も続き、旧暦10月が来るのも遅かったぁ~。
ってコトで、当然、その亥の日もこんなに遅く。
コレを危うく食べそこなうとこでしたっ!
旧暦10月の和菓子、亥の子餅です。
お皿の上には、イノシシの子どもウリ坊がふたつ。
…って感じ出てますね。
今年は、巣鴨の老舗菓子福島家(創業文久元年!つまり1861年)上生菓子のなかから、「亥の子餅」をいただいてきました。
実は、十二支を子から順に月に当てはめるというカウントの仕方もあって、10月は亥月。
旧暦亥月の亥の日、亥の刻に、この亥の子餅を食べれば、無病息災のご利益があるんだそうです。
最初は探すのが大変だった猪の子餅
このような、期日限定の行事にはこだわりたい…というか乗っかりたい私。
一度は、その日その刻限に亥の子餅をいただいて、ご利益にあやかりたいと思ったのが数年前。
しかし、亥の子餅は西日本の文化のようで、東京地方で、亥の子餅を見つけるのはやや困難でした。
やはり「とらや」か、あるいは「鶴屋吉信」あたりか?
…と、京都由来の和菓子屋をアレコレ候補に上らせつつも売られている日数が案外と短かったり、デパ地下では扱われていなかったりとなかなか出会うことができません。
で、その年は、偶然通りかかった本駒込の「栄泉堂岡埜」。
ウインドウに麗々しく「亥の子餅」とあって、ぎりぎりセーフで間に合った。
その亥の子餅がコレ。
このお菓子は、ひとくちいただくと、あっさり餡子に求肥に練りこまれた胡麻がほんのりアクセントで美味しかった。
で、以降、ひとくちに亥の子餅といってもいろいろあるのを知ることになるのですが..その前に。
亥の子餅を食す行事のルーツって?
この行事は、中国の俗信がはじまり
⇒平安時代に朝廷に伝わる
⇒西日本を中心に公家、武家、庶民へと広がっていった。
…というルーツをもつみたい。
『日本年中行事辞典』 (角川小辞典 16鈴木棠三)によれば…。
<宮中や幕府でも搗かれた亥の子餅は、白・赤・黄・栗・胡麻と5色もあってカラフルな餅>
<それが、臣下に下賜される際、位の高低により亥の子餅の色も包み紙の仕様にも厳格な決まりがあった>
…とか。
ふーむ。
それってどんだけ雅なものだったのだろうか?
で、室町時代の亥の子餅がかなり凝った行事になってたみたい。
<将軍から下される餅包みには、包み紙にも絵・切箔・白紙の三種>
<包みの中の物も、餅に敷く葉が上亥は「しのぶと菊」、中亥は「しのぶと紅葉」、下亥は「しのぶと銀杏」という区別があった>
…とありました。
ちなみに、「しのぶ」⇒常緑のシダのこと。
上亥⇒亥の月最初の亥の日には、“菊とシダの絵を描いた紙”に、亥の子餅をのせる
中亥⇒亥の月2番目の亥の日には、“紅葉+シダ“に亥の子餅
下亥⇒亥の月3番目の亥の日には、“銀杏+シダ”に亥の子餅
といった趣向で、月に上中下と3回ある亥の日のすべてを、凝った様式で彩り、祝っていたようです。
庶民…特に百姓たちにとっても、亥月の亥の日は重要な一日。
一方庶民=農民にとっては…。
亥月の亥の日⇒春にいらした田圃の神さまが、秋の収穫を見届け、山にお帰りになる日。
ということで、一日祝日として農作業を休み、朝から亥の子餅をついて神さまにお供えし1年の無事と収穫を感謝する祭りとする地方も多かったみたいです。
この行事は、西日本の農村地帯を中心に今でも続いている土地もあるようですよ、いちど行ってみたいなぁ。
亥の子餅は、茶道の世界では炉開きの茶菓子でもある。
流派によってか、茶席用に選ばれた菓子職人の工夫なのか、調べれば、イノシシの子に似せるということをベースに、さまざまな意匠の亥の子餅があるようです。
たとえば、求肥に胡麻を入れたり、黄な粉をかけたり、イノシシの毛皮に似せて焼印を押したり…と。
で、このコトを知ってからは、東京で亥の子餅を探すのも少し簡単になりました。
つまり、お茶席にお菓子を提供できるような格式ある老舗和菓子舗なら、たいがいは扱いがあるみたいってコト。
そして、毎年、違う種類の亥の子餅を探すのが楽しみになるぐらい意匠もいろいろってコトも知りました。
…となれば、毎年亥の子餅を探したくなるってのが、私のサガ(笑)。
ってことで、今年は、いちばん上の写真の亥の子餅となったわけです。
さて、本日は、間違いなく旧暦亥月亥の日ですが、
亥の刻は何時?
日の入りから約4時間後…と言うことで、今日の日の入は16時30分。
+4時間=20時30分かぁ…。
ってことで、そーっと箱に戻し。
このまま夜のデザートまでお預けになります(笑)。
◆今日は、2014年11月24日/旧暦10月3日/神無月己亥の日
◆日の出 6時25分 日の入16時30分/月の出 7時44分 月の入18時12分