冬になれば、聞こえる「いーしやぁーきいもー、おいもー」の声。
ちかごろのと東京には、そうやすやすと来てくれない懐かしい声になってしまいました。
最近は、住宅街にある、八百屋さんがその地位を受けついている感じ。
がっ、あれは?!
夕暮れ時に遠くにともる赤ちょうちん?
…と、熱燗&おでんの屋台なんかに見えますが、正真正銘「焼き芋やさん」でありましたっ!
…っていうか、赤いポリタンクをランプシェードにしているあたり、タダモノデハ無いですね(笑)。
今年の初物焼き芋は、紅東をゲット!
勢い込んで買いましたっ!
いまやスーパーの惣菜売り場とか。
コンビニなどでも、おでんや肉まんと並んでやき芋が冬の主力商品化。
といっても、これらの多くは、工場にて大量に焼き⇒いったん冷凍⇒流通⇒お店で温めなおしという商品。
その割には、美味ですが、やっぱなぁ…。
一方、バイクwithリヤカーや軽トラバージョンの石焼き芋は、小石を熱々に熱し
⇒そこにさつま芋を埋め込むという、間接焼き。
これだと、じっくり時間をかけて甘さを引き出し、ほくほく感も出る。
その正真正銘出来立てをいただくのですから、やっぱ、大量生産&温め押しとは比較にならないんですよねぇ、
この美味しさはほかに代わる物なき独特のものだと思います。
石やき芋が大ブレイクしたのは、江戸時代。
「栗(九里)より(四里)うまい」よねで、「十三里」ってなに?
当時、江戸の冬のおやつといえば焼き芋が決まり、というほどの流行かたをしたんだそう。
で、面白いのは、その売り方。
場所は、町の治安を守る大木戸の管理所=番屋。
そこに「十三里」とか「八里半」とかの看板灯籠が麗々しく飾られれば、
それはやき芋を売ってますの合図だそうで…。
・焼き芋の味は「栗(九里)」に近いから⇒「八里半」
・焼き芋は「栗よりうまいから」⇒ 栗=九里、より=四里⇒九里+四里=「十三里」
江戸人得意のコトバあそび=地口で、焼き芋のうまさを表現するぐらいに、人気の商品だったってコトですか。
ちなみに、焼き芋の上りは、「番太郎」と呼ばれる常駐木戸番(町の治安のために、朝晩木戸を開け閉めし火の番をした)の副収入。
焼き芋は、番太郎の冬の懐を大いに潤したことでしょうね。
明治⇒大正と衰退、昭和で復活。
明治維新後、木戸も番屋もなくなったあともとどまることを知らないかのように大型専門店まで現れて、しばしやき芋人気は健在。
しかし、大正時代の戦争景気で目新しいお菓子に押されて売れなくなり、関東大震災をきっかけにするかのように、一度姿を消してゆきます。
そして、昭和、しかも第二次世界大戦後に、やき芋は行商スタイルで復活をとげます。
・焼いた石で間接的に焼く方法も。
・リヤカーでの行商スタイルも。
・「いーしやぁーきいもー」の売り口上も。
ぜーんぶ、戦後の東京の下町で生まれたアイデアらしい。
石焼き芋は、その売り口上を含め、日本の冬の大切な風物詩。
近所の八百屋さんやコンビニで売られようとも、シーズンに最低一度は、「いーしやぁーきいもー」の声を聴き、行商スタイルのあそこから買ってみたいモノであります。
◆今日は、2014年12月9日/旧暦10月18日/神無月甲寅の日
◆日の出 6時38分 日の入16時28分/月の出19時09分 月の入 8時27分