東京地方の松の内は、他の地方より短くて、あっという間に「門松」飾りもしまいです。急いで急いで見てください/1/5=旧11/15・辛巳

早いもので、松の内ももう明けます

建物の表門にあたるところに門松を立てて。

松飾

歳神様、どうぞこちらの松を依代にしておいでください…としつらえたのが、昨年末。
早いもので、もうそろそろ松の内も明けにちかづいています。

といっても、現実には数日前なんで当たり前なんですが、年をまたぐと、すごーく前のことなのにあっという間。
という、へんてこな気分になるから、年が明けるって不思議です。

「門松」にまでさまざまバリエーションあったらしい??

孟宗竹の端っこを斜に切ったのを3本たてて、松をあしらい注連縄を飾り。
…という例のカタチが日本全国すべて同じと勝手に思っておりました。

が、ある年、上野の博物館でこの浮世絵に出会い。

浮世絵

礒田湖龍斎が、門松、注連縄で飾り付けられた前で、羽根突きに興じる女性と子どもの姿を描いた作品。

「この門松には竹がなく、本気で対になった松じゃないの?
もしや、門松もいろいろだった?」

…と思いいたる。

玄関入口に飾るしめ飾りだって、あれだけのバリエーションだしあたりまえかも?

今の門松のカタチは江戸城城門を飾っていたもの

いつものように、『日本年中行事辞典』 (角川小辞典 16)(鈴木棠三 著)を紐解けば、「門松」の項がありました。

それによれば、勝手にスタンダードと思っていたそのカタチは、もともと江戸城の各城門に飾られていたものなのだそう。
つまり、それは江戸の徳川さまの門松スタイル。

そして、江戸市中の武家屋敷には、それぞれ藩の伝統にのっとり、かなり様々な意匠の「門松」が飾られていたようです

そもそも、「門松」と名のっているのに、必ずしも松をあしらう土地ばかりではなく、常緑樹の茂った枝ならまあオッケーという、なんか根底からして違うじゃないという話まであったようです。

そもそも八百万の神様がいらっしゃる日本ですから、
歳神様の依代も千差万別が実は正しいのかもしれない。

松が無い土地ならば、違う似たものを使って「門松」を作る。
で、そうして作られた土地オリジナルが、やがてその周辺の伝統にまで昇華したんでしょうか?

参勤交代という事情から作られた各藩の武家屋敷には、そうして様々な「門松」が飾られて、江戸の正月は、さながら「門松」情報の集約地の様相だったのかもしれませんね。

うーん、江戸時代の江戸市中にワープして眺めてみたいものです。

「門松」がこんな感じなら、それが飾られる期間=松の内のほうもいろいろ

「門松」や「松飾」を取り払う日を「松納め」とか「松引き」「松送り」といいますが、一般的に、その日は、小正月の14日・15日に集中するようです。
しかし、江戸東京のそれは6日の朝とか夕方とか。
あるいは7日とすでに例外。
江戸東京だけ極端に早かったのは、寛文2年(1662年)旧暦1月6日に、江戸幕府から「(旧暦)1月7日を以て飾り納めをせよ」と江戸城下に町触(通達)があったのがきっかけだったみたいです。

…なんで?

東京で一押しの門松

さて、現代に戻って、あくまで個人的な好みによる「東京で一押しな門松」を。

それは、上野の国立博物館本館前を飾る門松。

毎年、趣向を凝らしたものが、正門前と本館前に飾られますが、中でも2010年のそれは素晴らしかった!

正門のがコレ
博物館門松

そして本館の向かって左と

門松向かって左

右。

門松右

松と竹という基本を守りながらも、オリジナルな意匠。

かつて様々な意匠の「門松」が飾られたとされる江戸・東京ならば、この独創性こそがふさわしく、ぜひこれを目当てに出かけていただきたいと思う見ごたえです。

東京の松の内は、いまも1月7日までとずいぶん短いままですが、こちらの門松は、2015年1月12日まで。
今年は、どんな意匠でしょうか?
本日帰京なもんで、さっそく眺めに出向こうかと思います。

みなさまも、見逃さないうちにお早めに。

そして、松が取れれば、いよいよ、新しい年の日常がやってきます。

◆今日は、2015年1月5日/旧暦11月15日/霜月辛巳の日/満月
◆日の出 6時51分 日の入16時41分/月の出17時 月の入 6時21分