江戸東京に伝わる山吹伝説…の山吹も八重が全盛。八重桜とともに春最終コーナーを駆け抜けます。/4/18=旧2/30・甲子

一重から八重へのバトンタッチは、桜の樹の根元でも密かにつながれていたみたい。
…って、相変わらず、見過ごしていたんですが(笑)。

昨日、今日は違う道を行こうと、遠回りになる路地を抜けてみたら、あららっ!?

露地から出たところに山吹

あの黄色い塊は、きっと…と、またもやや遠回りなんですが近づいてみたら…。

山吹

ああやっぱり。
もう八重の山吹がこんもり黄色く咲く頃になっていました。

八重山吹

ああ、山吹が咲き始めたなぁ…と思ったのがつい先日だったのにな、その一重山吹は、もう最終コースみたい。

となれば山吹伝説の地へ今年こそっ!

と勇んで行ってみたのは、路面電車・荒川線の面影橋駅近く。
…のとある工場の正門横。

ちょっと窮屈そうに建つ石碑には、半跏思惟像とともにちゃんと「山吹の里」とありますね。

山吹の里

石碑の横には山吹の花もあり、近くを流れる神田川沿いも山吹の小道。

山吹の小道

がっ!惜しいなぁ。ちょっと違うのよねぇ。

このあたりに咲く山吹は、なぁんと一重の山吹の花。
うーむ。
厳密いってしまうと、一重だと山吹伝説にはならないのよねぇ。

山吹伝説をかなり大雑把に説明しますと…。

まず、その主人公は、江戸城を築城したことで有名な室町時代の武将・大田道灌。

道灌が、現代に「山吹の里」と言われるあたりで(というのも実は候補地多数!後述しますね)突然のにわか雨にあって、近くの農家で蓑を借りようとした。

ところが、その農家の娘は、蓑を出してくるどころか、何故か黄色い山吹の枝をそっと差し出すのみでたたずんでいる。

ココで差し出されたのは八重の山吹。

八重山吹

で、道灌とすれば「???」な出来事でして…。

のちに、この謎かけのこたえを家臣が教えてくれることとなる。

それは、<七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき>という後拾遺和歌集の和歌にかけた返答。

「蓑」=「実の」に掛け、その娘は「貧しい農家ゆえに蓑のひとつもありません」と奥ゆかしく伝えた…というコトなのでした。

で、太田道灌というヒトは、古い和歌に疎かった自分を恥じて、それ以後歌道に励んだというオチが付く。

…ってコトで、山吹伝説の山吹は八重じゃあなきゃはじまらない

えっ?
まだわからない方いますか?

実は、山吹の一重は実がなってしまうんです。

白も…。

白山吹

キイロも。

キイロ山吹

一重桜ソメイヨシノと一緒に咲いて、散るのもほぼ同時ぐらいのこいつらは、きちんと堅い実を結びます。

だから、一重山吹を差し出しちゃうと<七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき>
…にはならないんですねぇ。
山吹の実はたくさんなってしまうんですもの。

一方、八重の品種は、和歌で詠まれたように種(実)で命をつなぐのではなくて、地下茎を伸ばしてあたりに広がり繁殖してゆく。
だから実がならずに、先の和歌の掛け合わせが成り立つという次第。

というコトで、我が地こそ山吹の里と言うならば、そこまでこだわってほしいなぁと思ったわけです。

たぶん、この界隈の神田川の桜、もう終わっちゃってたけど、花の頃は非常に見事な景観と推測。

神田川の桜

なもんで、そこに山吹の花も同時開花させたかったんでしょうけどね。

実は、「山吹伝説」の場所は関東エリアに諸説あり。

というコトで、いづれもそれはココだと主張しております。
(詳しく昨年のブログをよろしかったら→一重は終わり、八重が見ごろの山吹の花/旧3/27・丁卯

だからさぁ。
石碑まで立てて主張したいのならば、伝説の内容にとことんこだわってくれないと、困るんだよなぁ…。

なんて、ちょっと思ってしまった次第です、

やっぱ、この季節は、一ヶ所ずつ確認作業が必要だな!
ええっ!?
…いや、なんのため?

◆今日は、2015年4月18日/旧暦2月30日/如月甲子の日
◆日の出 5時05分 日の入18時16分/月の出 4時38分 月の入17時40分