正岡子規が生まれたのは、慶応3年9月17日…とつまり旧暦。しかし、新暦に直さず今日の誕生日を祝って一冊。ついでながら明後日は糸瓜忌です/旧暦8/5・丙申

気になるのは。旧暦時代に生まれた著名な方の誕生日。

…それって、新&旧暦どちらの日付が誕生日なのかと、ちょっと迷うんですよねぇ。
特に、旧暦→新暦を続けて生きた方の場合は、彼らは自分の誕生日をどちらの日付で認識していたんだろう?

本人に聞いてみたいけど、まあ不可能なんで、当ブログでは一律、旧暦の日付を採用。

…ってコトで、今日は、俳人・歌人であった正岡子規の誕生日です。

今日は、正岡子規の著作を読んで、そのお祝いとする

今年はなにを読もうかなぁ。

ちなみに、昨年までの我が書棚には、正岡子規の著作は、『墨汁一滴』 (岩波文庫)、『仰臥漫録 (岩波文庫)』、『病牀六尺 』(岩波文庫)の3冊。

晩年の著作

いずれも、病床にあった最晩年に書かれたもので、昨年までの今日は、そこから1冊持ち出して、カバンに入れて、電車の移動や、ランチ、お茶などの時間に取り出して、拾い読みする…。

としておりましたが、今年は、もう一冊蔵書を追加。

『笑う子規』 (ちくま文庫)です。

笑う子規

天野祐吉さん(ああ、この方も逝ってしまわれましたねぇ)が子規の俳句から「おかしみの強い句」「笑える句」を選び、コメントを付け、南伸坊さんが、絵をつけた子規の新しい一冊。

私としては、かなり前から子規の名前の上に「笑う」とつけたタイトルが気になっていたんでした。
だって、その単語は、子規にこそぴったりなんですものねぇ。

それを、この記念すべき日に向けて首尾よく購入。
これからゆっくり読まんとすっ!

「打ちのめされた」…というのが、今年も子規の作品の読後感

えっ!
笑うんじゃあなくて??

子規の誕生は、1867年10月14日(慶応3年9月17日)。
句作をはじめたのが、1889年~1890年(明治22年~23年)頃。
逝ったのは、1902年(明治35年)。

たった13年ほどだというのに、句作は2万4千ほど。

しかもその多くは、1896年以降、療養していた子規庵で作られたものみたい。

先の『墨汁一滴』、『仰臥漫録』、『病牀六尺』などは、ひとりで起き上がるどころか、寝返りも打ない最晩年の2年間の作。
すべては仰向けになったまま描かれた。

…つまり、この夥しい数の作品は、自由も体力もない日々に生み出されたものだった。

子規の句を愉快に読むうち、
病床周辺の狭い世界に広い宇宙を見続けた正岡子規というひとを思う。

才能ある偉人だからという高みを感じさせない作品の数々だから、最初に感じるのは慕わしさ。

読み進むうち、「自分は何故生かされているのか」という世の役割を知ったひとのしなやかな強さ。
それが子規の俳句であり、ひととなりであるなぁ…と思いいたり。

けっきょく、その非凡さにもっともっと深くうちのめされる。
…つまりそう読後感なんである。

病で動けない日々にも、ココロは、どこまで豊かに広く、自由だったんだろう

晩年の三作は、病状が徐々に進行し、辛い日々に描かれながら、かえっていきいきと生命力にあふれ、時にユーモアで満ちている。

「笑う子規」は、そのユーモアが凝縮されて、森羅万象すべてをふふふっと面白がってしまう。

なんか始終こんな感じ。

子規の句

そこに、天野祐吉さんのやっぱり、ふふっと笑えるコメントと、南伸坊さんの、和めすぎるイラスト。

南伸坊さんのイラストも、天野さんのコメントもなんだか、みーんな子規さんが書いたみたい。
…に思えてくるなぁ。

正岡子規の誕生日に読むには、最強最適な一冊なんじゃあないかなぁ。

正岡子規さん!

9月19日の「糸瓜忌」はもうすぐですが、逝った日よりも生まれてきた日に敬意を表し、ユーモアあふれる一冊を紐解いて、今日は、静かにお祝いいたしたいと思います。

生まれて生きて、たくさんの作品をありがとうごさいます。

◆今日は、2015年9月17日/旧暦8月5日/葉月丙申の日
◆日の出5時24分 日の入17時47分/月の出8時40分 月の入19時54分

↓ほんま、おススメ。