2011年3月11日の夕刻。
私は、東京の渋谷から自宅のある文京区まで、徒歩で帰る、いわゆる帰宅難民のひとりでした。
道路は渋滞…というより、車はまったく前へ進まず、細長く巨大な駐車場のごとくにも見えました。
私は、その脇の歩道からはみ出さないように、大勢のヒトと歩調を併せてゆっくり歩く。
白状すれば、夜の散歩のようで、少しワクワクしてもいました。
それは、東北に住む身内も知人も無事であることを知っていたからです。
が、新宿駅前へと差し掛かり、街頭ビジョンに写った震源地ちかくの街が大火事で燃えている様子を見て、愕然とします。
トイレの長い列に並んだり、コンビニで運よく残っていた水をかったりする間に、ツイッターで流れてくる情報が各所でささやかれ。
それを漏れ聞きいて、さらに驚愕。
巨大な津波が多くのヒトを街ごと飲み込んだ?
大きな地震は街を揺るがし、ライフラインを断絶。
そこに津波が来て、容赦なく多くのモノを取り去って行った…らしい。
…ほんとなの?
途中、豊島区役所が、一時避難所になっていて、ソファのひと隅を借りて休憩します。
非常時用に持ち歩くチョコレートを探し、一緒に見つけた本が、野尻抱影の「星三百六十五夜」。
天文民俗学者による、星をテーマにした365日の小文集で、電車の移動など細切れの時間に読むのにちょっといい本。
季節季節の星空が、興味深い逸話などとともに描かれています。
ああ、朝持ち出した本だと、開いて数行読んでみます。
ふとよみがえったのは、幼い頃、仙台に住んでいて遭遇した、宮城県沖地震の体験。
あの時、電気の止まった街は、暗く沈み、代わりに空の星々が異常に増えたように思えたことを思い出します。
ついで…。
今日被災した人々は、家を奪われ、暖房もなく、寒さの中で、それでも見上げれば、空に星は煌めいているのだろうか?
だったら、せめて、いいのに…。
そこに、野尻さんみたいな星に詳しい人がいたらもっといいのに。
思えば、暢気でたわいない思い。
しかし、自然に襲われた人々が、それでも、同じ自然に癒される様子を、祈りにも似た思いで抱いたコトを思い出します。
2011年3月11日の東日本大震災は、多くのヒトにとっての大きな節目となった1日。
津波から街を守るはずの絶対ダイジョウブな防潮堤は、あっけなく破壊され、絶対安全なはずの原発がいまだ危険なモノを排出し続ける。
日本人にとって、3.11以前と以後は、大きく考えかたが変わった日だったはずです。
科学は、万能ではない。
それは、ヒトが作った、便利だけど不完全な道具でしかない。
自然を征するなど考えない。
私たちは、その内懐にいるものでしかない。
人間は、自らが自然の一部でしかないというコトを忘れ、それを征して豊かになろうとして道を誤ったかもしれない。
その気づきの先に、今までとは大きく違う実を結ばなければなりません。
たとえ時間がかかったとしても。
今日は、またそんな思いで、野尻抱影の本でも紐解き、自然の懐に触れてみようかと思います。
◆今日は、2014年3月11日/旧暦2月11日/如月辛巳の日
コメント
あの日、川崎のオフィスで身動き取れず一夜を過ごしました。
翌朝、なかなか動かないJRで1時間以上かけて文京区の部屋に帰宅しましたが、普段は挨拶程度の言葉程度した交わさない(もっともすれ違うことも無い小さなコーポラスの)お隣の奥様がやって来られて・・・
「ガスが止まってしまいましたけど・・」
と廊下に面したPS内のガスメータの安全装置の解除について教えてくださったことを思い出します。
そういえば満員のJRで帰宅途中も、足の不自由な方がいらして「降ります」と言われたら、皆さん配慮していたこともありました。
自然にはかなわないけれども・・・東京都は、あの震災で区役所や管轄する公共施設を開放するなど、東京直下地震の予行演習としていたようですね。 悲しい出来事ではありましたけれど、しっかりとした対応をしたと思います。
自分の今の地元であのような対応がとれるのか・・・疑問です・・・
安田さんこんにちわ!
ああ、そういえば、あの日はみんなが優しい夜でもあったなぁ…と思い出しました。
まだまだ東京には、気持ちの余裕があったということかもしれません。
昨日は、終日東日本大震災の特番の日でした。
実はほとんど見ることができませんでしたが、夜のNHKドラマを見て、やはりとても考えさせられました。
個人的には、この先、東北が復興をとげても、毎年この日だけは、この件の必ず特番の日にしてほしいと思ってます。
阪神淡路や終戦記念日とともに。