二十四節気は、今日から「穀雨」/旧3/21・辛酉

今日は、二十四節気の「穀雨(こくう)」です。

ああ、穀物に雨ねっ!
ときどき意味を考えてしまう二十四節気のコトバの中、すんなり意味がわかる「穀雨」は、特に慕わしい感じがするコトバです。

いつもの江戸の暦の参考書『暦便覧』を紐解けば、そこには「春雨降りて百穀を生化すればなり」の意味だと記されています。

田畑には、作物の芽が出て、あるいは苗が植えつけられて、そこに春の暖かな雨が降り注ぐ。
作物たちは雨の恵みを受けて成長してゆきます。
そんな、瑞々しく、希望に満ちたイメージをまとった季節。

「穀雨」は、日本の豊穣を象徴する言葉といってもいいかもしれません。

二十四節気は、月の満ち欠けで日付を数える太陰暦だけでは四季と月がずれてしまうため、太陽由来で作られた暦。
その使用目的の最たるものは、もちろん、農業の目安にするためでした。

特にこの「穀雨」は農業にとっては重要な時期。
土を耕したり肥料を漉き込んだりの下準備はすでに整い、種まき、苗付けの目安となる時期を示すものとなります。

が、都会ぐらしでは、そんないきいき瑞々しげな光景からは遠く離れて、ちょっと残念。

だから、春の柔らかい雨を楽しむ季節と位置付けて、私の頭の中では、こんな楽しみと「穀雨」の文字が紐図いています。

201004路地琴百花園

据え置き型の水琴窟「路地琴」です。

水琴窟は、地中に空洞をつくって(あるいは何らかの事情で空洞になったところへ)水滴を落下させ、どこかに当たって反響する音を聴いて楽しむモノ。
それを水瓶で簡易に作って、街中に置くプロジェクトが墨田区の向島界隈にあって、2006年ごろから、古い街並みの中にじわじわと同じカタチのモノを見かけるようになりました。

写真は、よく行く向島百花園に設置の「路地琴」。

遊び方は、水瓶にあるように…。
201004路地琴

小石が敷かれた甕の上から柄杓で水を注ぎつつ、竹筒に耳を当ててその音を聴く。
これが、なかなかに楽し美しな音で、個人的には、雨傘にぽつぽつ当たる雨音をバックに路地琴の音を聴くのがおススメ。

…って、へん?

そぼ降る雨は、こんなものがあるとぐーんと楽しくなるんです。

今ごろの雨の名前には、特別に「百穀春雨」という呼び名もあって、「春」と一文字入るだけで、いつもはうっとうしい雨が、柔らかさや温かさのイメージを纏い、素敵な雨に思えてきます。
さらにそこに加えてこの路地琴遊びがあると、春の雨の魅力を加速するような気がします。

「穀雨」の頃に降る雨は、人々にとっても植物にとっても歓迎の雨。

だから、傘を差してでも、なんとなくうきうきと外出したくなる。
辺りは、雨が黄緑色の若葉を潤し、さらにさらに美しい演出が施されています。
仮に、その温かい雨が長引いたとしても、「菜種梅雨」という美しい言葉が用意され、同じ雨でも今ごろの優しい雨は、別格な扱いなのですね。

温かくなったと思ったら急に寒い、三寒四温の日々の記憶もやや遠く、変わりやすい天気も少しずつ安定し、日差しも穏やかながら日増しに強くなってもきました。
そういえば、東京地方では、厄介な杉の花粉もやっと影を潜めつつあるようです。

もう少しでお茶の収穫期の八十八夜。そして、「穀雨」で、暦の上での春は終わり。
次の二十四節気「立夏」からはもう夏です。

ああ、早い早い。

◆今日は、2014年4月20日/旧暦3月21日/弥生辛酉の日