憲法記念日には、憲法を読みますっ!/旧4/5・甲戌

5月3日は、憲法記念日です

国民の祝日を定めた法律「祝日法」によれば「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」日ということですが、個人的にはずっと前から「日本国憲法」を一読する日と決めています。

「日本国憲法」は、施行後、今まで一度も改正されていないため、原典は、旧かなづかい。
漢字の表記も旧漢字体で、いっけん非常にいかめしく、近寄りがたい法律ですが、もちろん、そんな難しいものは読みません。

世間には、その原典に忠実でありながら読みやすく編集されたものが多数出版されています。

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写真の右は、小学館が1982年に発行し、大ベストセラーになった『日本国憲法』

原典に現代かなづかいで振り仮名をふり、難しい言葉は欄外に解説を添えた編集の仕方が当時としては斬新でした。
しかし、何より評判になった理由は、条文の見開きと交互に美しい日本の写真を掲載したことです。
書店売りとしても、まだ現役の本ですし、2013年には、軽装版も発行もされています。

左の文庫は、21世紀を迎える年に童話屋という出版社から中学生を対象に出された『日本国憲法』
「教育基本法」と英訳の「日本国憲法」も収録されています。

コンパクトなものが欲しいと思って書店で手に取り、編集者によって書かれた「まえがき」に感動して買い求めたものです。
自宅の書棚には、この日本国憲法。

そして、昨年、もう一冊こんなのも加わりました。

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『日本国憲法を口語訳してみたら 』(幻冬舎)

著者の塚田薫氏は、1989年生まれの当時現役の法学部生。
ネット上の掲示板2chに「日本国憲法を口語訳してみた」というタイトルで書き込みしたところ、大反響。
それがきっかけとなって、法学者の監修付きでまとめられ、書籍化されたもの。

原文ももちろんありますが、それをいまどきのしゃべり言葉にしたというのが斬新過ぎる本。
なので、Amazonのレビューなどでは、賛否両論ありまくりなのですが、私は、かなり面白く読みました。

アメリカから押し付けられらものだし、そろそろ改憲だ!だの。
いや、戦争放棄をうたった素晴らしい憲法は護憲すべきとか(→ちなみに私の意見はこちらに近い)
で、近頃は、正攻法の改憲は手続きが面倒とか思ったのか、とりあえず、解釈を変更してみよう…とかいう、なんだか意味不明な動きまである。

その渦中の「日本国憲法」が勝手にいじくりまわされる前に、とにかくそれがどうゆうモノなのか読んで、知っておくべきではないか。
せめて、もっと身近なモノにしておくべきではないか。

…というのが、憲法記念日に憲法一読ルールを自らに課している理由です。
しかし、いずれの本も一読後の出番は「憲法記念日」だけ(笑)。
でも、本としてはそうとうなヘビーローテーションかと思いませんか?

ということで、ゴールデンウイークののんびりした1日、気分によっていずれかを書棚から取り出して、さあ読みましょう。

もちろん、読み方にはコツがあります。

全文を理解しよう、勉強しようなどとはこれっぽっちも思っていません。
毎年、今年の気分にぴったりくる好きな条文探しを目的に読みます。

◆憲法には、施行されたときの内閣のメンバーと天皇の言葉が添えられています。

まずは、当時の総理大臣は、吉田茂かぁ(麻生太郎氏のおじいさんね。似てないけど)…と、ぼんやり眺めます。

◆次に「前文」を読んでみます。

「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために…」で始まる前文に、毎度”聡明なまなざし持つひとの崇高な理想”といった佇まいを感じ…。

「なんと素晴らしい、いったいこれはどこの国の話」か、…と今年もやっぱり思ってしまいました。

しばしあって、「あっ、これは自分の国の憲法だった」と思い直し、まだまだ今年も、日本人は、この前文の精神に追いついていないなどと反省したりします。

◆そして、好きな条文さがしです。

たとえば、「すべて国民は、個人として尊重される」で始まる第13条はいいなと思います。
第18条の「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」は、思想の自由はともかく、「良心の自由」までと踏み込んでいるのがなかなかだと思ったり。
第23条「学問の自由は、これを保障する」のシンプルさも好きです。

しかし、やっぱりダントツで存在感を持ち、この日本国憲法に魅力を与えているのは、第9条ではないかといつも思います。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする、国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

世界は、いつもどこかで戦争ばかり。もしや明日その火の子が飛んでくるかもしれない中で、戦争を放棄すると言い切ってしまう勇気ある法律と感じます。

憲法第9条を持つ国に生まれ暮らす意味はなんなのでしょうか。

まず、何が何でも「戦争という醜い行為」を否定する、この法律のある国に生まれた誇りみたいなものがある。

そして次に、そう感じるのなら「国際紛争を解決する」他の手段=アイデアをいかなるときも考え抜いておかなければならない義務もあるのだ…と思いが生まれる。

軽い気持ちで好きな一文探しを始めてみても、「日本国憲法」は、いつも、そうゆう重い課題を投げかけてきます。

日本国憲法の誕生史をかいつまんでみると

「日本国憲法」は、第二次世界大戦に日本が敗戦し、他国に占領されている間に、それまでの日本の憲法「大日本帝国憲法」の改正手続が行われ、1946年11月3日に公布、1947年5月3日に施行されました。

日本の憲法は、押し付けられたものという意見がありますが、日本を事実上支配していた連合国軍最高司令官総司令部=GHQが、活動を停止したのは1952年のサンフランシスコ講和条約の発効後のこと。
そうした意見が交わされるのは、この事実によるところが大きい。

実際、「大日本帝国憲法」の改正を支持したのは、GHQですし、新しい憲法の草案も、ほぼGHQが作り、マッカーサーの承認を経て、日本政府に提示。
日本政府はGHQ草案に沿って、新しい憲法草案を起草する…という流れをとりました。

歴史的事実は、冷静に受け止め知っておかなければなりませんが、後の研究やジャーナリズムの取材によって、GHQ草案が作られる際も、日本人による草案の影響を多く受けていたことなどが明らかにされ、一方的に押し付けられたものと言い切れない部分があるのも事実かと思います。

憲法の誕生史はそうとして、実際の中身はどうなのか。

私たち日本人が寄って立つ、もっとも大切な法律であるにも関わらす、日々一行も読むことなく暮らすことこそ、「押し付けられている」と感じてしまう元凶です。

「日本国憲法」は、ここに紹介した3冊のように簡単に書かれたもですら、やはり多少はいかめしく近寄りがたい。
だから、そこに自ら近づき知ろうとしなければ、どんどん遠いものになってゆきます。

そして、いつしか、既成概念という多勢の他人の意見に振り回されるようになる。

いつも、浮上しては消える、憲法改正の話。

それが本気で俎上に上がる日が来るなら、誰にも振り回されずにはっきり自分の意見を持ちたい。
1日の終わりに、書棚の気になるときはいつでもみられる場所に、「日本国憲法」をそっと返します。

そして、何も起こらなかったとしても、必ず来年はまた。

◆今日は、2014年5月3日/旧暦4月5日/卯月甲戌の日