朝顔、風船蔓、瓢箪…と、緑のカーテンばやりにかこつけ、ずいぶん夏の蔓植物の話に触れた夏ですが、その真打といえば「糸瓜(ヘチマ)」。
まさかそんなものが都会にあるとは思えず…。
がっ!見つけちゃいました。
よそ様の庭というか、今どき稀有な、空き地利用の趣味の畑。
大きな黄色い花も見ごろをむかえておりますが、あれこそは、ヘチマの花!
ちょっと失礼しまして…、葉っぱをそっとめくれば、なんと、ゆらりと大きな実が顔を出しました。
で、どこが真打なのよ、やっぱり今年は「苦瓜(ゴーヤ)」にその座を明け渡すべきじゃないの?
との突っ込みも聞えてきそうですが…。
その利用価値の面白さ。
生った実のかもし出す風格。
加えて一応花の大きさあたりまで、夏の蔓科の植物でヘチマにかなうものって、実は、無いような気がするのですがいかがでしょうか?
小学校の理科の学習教材は、朝顔、向日葵に加え、ヘチマもあった
何年生のときかは忘れたけれど「ヘチマ」を育てる授業は、格段に面白かった。
朝顔、向日葵ももちろん楽しかったけど、このふたつは、ほぼ観賞用、せいぜい種の採取で学習は終わり。
対して、ヘチマは実が生ってからもますます面白さが増えて、特に実の活用法の授業は子供心にも印象に残ったものです。
◆まずは、日本人にはなじみの化粧水「ヘチマ水」の採取。
秋になって、実が熟したころに、地面から少し離して蔓を切り、根っこから立ち上がっている切り口をきれいに洗ったビンに突っ込む。
ビンの口からほこりや虫が入らないよう隙間に綿をつめてビニールとかラップで口元を覆ってそのまま放置。
朝早くにセッテイングして、放課後見に行くと、ビンにはちゃんとへちまから染み出した「ヘチマ水」がたまっていて面白かった。
そのあと、煮沸して冷やし、晒しなどでろ過し、長く保存するなら防腐剤とか、もっと滑らかさがほしいならグリセリンなどの湿潤剤を入れるのですが、記憶のヘチマ水は、そんな面倒なことは省いて、そのまま使っちゃってたように思います。
◆熟し尽くして茶色くなった果実は、「ヘチマたわし」に。
ヘチマを、何日か水にさらして実を腐らせる→ヌルヌル臭いのを我慢して取り除き→繊維だけする。
今度は、「ヘチマたわし」の出来上がりです。
(これは、数年前に、母の畑で実ったヘチマから作ったたわし。これが石鹸の泡立ちが良くて便利なんです!)
…なんですが、我が小学生時代は、適当な大きさに切ってぐつぐつ煮て、やわらかくしたところで種や実をほじくりとって繊維だけにしたように思います。
それを乾かしたわしを作った?
そのあたりが実はあいまいですが、ヘチマ水とヘチマたわしのセット…とにかく学校の授業で生活にストレートに役立つものを育てて作った思い出は強烈です。
見て楽しむだけでなく、それを生活の中で使いこなす。
「植物からいただく恵み」という教えは、このヘチマの栽培観察で学んだのが最初のような気さえします。
それが、ヘチマをおなじ夏の蔓科の植物の中で、なんとなく格上の植物に感じてしまう理由なのかもしれませんね。
ヘチマは、繊維の硬くならないうちの若い実なら、食用も可能なのだそうです。
東北地方で育ったものには意外ですが、沖縄や鹿児島では、ヘチマを食用にするのだそうです。
柔らかいうちに収穫→皮をむいて切る→豚肉と油で炒めてゴーヤチャンプルーみたいな食べ方。
他には、味噌味の蒸し煮、から揚げ、ヘチマスープにヘチマカレー…etc。
ネットで検索したら、いろいろなレシピが登場し、すこしびっくりいたしました。
南のほうでは、八百屋でヘチマも売られているのでしょうか?
正岡子規の句にも登場
痰一斗 糸瓜の水も 間に合はず
糸瓜咲いて 痰のつまりし 仏かな
をととひの へちまの水も 取らざりき
有名な正岡子規のヘチマの句にも詠まれるように、ヘチマ水は化粧水であるとともに民間薬でもありました。
結核をわずらった子規は、病床でヘチマの花や実を眺めながら暮らし、苦しい咳を止めるために毎日ヘチマ水を飲んでいました。
それも逝く今日は、もう飲むのがかなわない、「痰一斗…」は、辞世の句です。
子規が逝ったのは、9月19日。
ヘチマの花は、6月ぐらいから延々黄色い花を咲かせるそうですが、いつのまにかひっそり実が生り、毎日その水をいただきつつ、季節は秋をむかえます。
ヘチマは、夏中ゆたかなグリーンカーテンを作るだけでなく、花をめでさせ、さまざまな恵みを差し出しつつも、秋へと季節の橋渡しを静かに眺めているような植物でもあるんですね。
◆今日は、2014年8月26日/旧暦8月2日/葉月己巳の日