8月27日は、全国的に寅さんの日ですよ!/旧8/3・庚午

わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天でうぶ湯を使い、
姓は車、名は寅次郎、
人呼んで、フーテンの寅と発します。

という口上で、寅さんがスクリーンに登場したのは、1969年(昭和44年)の8月27日。
「男はつらいよ」の映画シリーズ第一作の公開日が、45年前の今日でした。

それを記念して、8月27日は「寅さんの日」なんだそうです。

寅さん第一話のスチール(表紙)

初めて映画「寅さん」を観たのは、小学生の時だったのですが、(もちろん1作めでないことは確かです)、自分のうそ偽りのない感想は「こんな大人が身近にいたら少し困るな」ということでした。

大学進学で上京し、情報誌を見れば下町の名画座などで「男はつらいよ」がリバイバル上映がされているのを発見。

懐かしかったのか、「身近にいたら困る大人」が主人公の映画を、なぜか地道に第一作から観始めて、その面白さにとりこになってしまいます。
もちろん、同時に新作もくまなく鑑賞。
そうして、トレンディドラマ(死語?)真っ盛りの時代を通り越し、バブルがはじけても、1996年に主演の渥美清さんが逝ったのが悲しくたって、変わらず必ず新作を見続けて「フーテンの寅さん」全48作+1997年の時別編までを、きっちりスクリーンで観ることになり、いまやこれは、私の少ない自慢ごとのひとつでもあります。

寅さんは、車寅次郎という立派な名を持ち、故郷は葛飾柴又。

身内は、おいちゃん&おばちゃん=伯父伯母に、腹違いの美しくやさしい妹・さくらで、帝釈天前の参道で団子やを営んでいる。
寅さんのほうは、10代で家を飛び出しテキ屋稼業が生業。

毎シリーズ日本各地を…ある年などはウィーンにまで…旅をして、いつもその途上でであった美しき「マドンナ」に恋をする。

柴又のおいちゃんとおばちゃんが、ふと「あの馬鹿はいまごろどうしているかね」などど、寅さんの噂をすると、なぜかその本人が、ふらっと柴又の団子屋にまいもどり、早速小さめの騒動を起こす。
そして、しばし滞在するも、超些細なことから伯父伯母と大喧嘩して家を飛び出すあたりもファンにはお約束のワンパターン。

毎回、好きになったマドンナとの恋は成就せず、ほかの男性との仲を取り持ったりする始末で、ざっくり言えば、毎回こんな話。

毎シリーズおなじパターンの繰り返しの人情喜劇で、その偉大なる繰り返しこそが深く、豊かで愛おしく。
毎回寅さんをみて、すごい映画を作ったものだ…としばし感動を隠せない。

映画が終われば、人の人生って、つまりこんな繰り返しの中にある、小さいしくじりとたちなおり、ささやかな発見とか感動とか。
そうゆうものの蓄積みたいなもんじゃないかなぁ…なんて思いながら帰路に着いたものです。

寅さんシリーズは、1995年正月に最終作が上映されて全48作

そして、1996年の夏、主演の渥美清さんが逝って、名実ともにシリーズは完結しました。(特別編『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』は、1997年秋公開)

その後、名画座はどんどんなくなり映画館で寅さんを観る機会もなくなりました。

でも、近頃だって時々、「寅さんがあの寺の住職のふりして説教するシリーズをみたいなぁ」(第32作『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』)…とか。
「後藤久美子が登場した数作をちょっとまとめて観てみたい」(第42作『ぼくの伯父さん』~第45作『男はつらいよ 寅次郎の青春』)とかとDVDを借りること多数。

そうして、繰り返し繰り返し観るうち、寅さんの口からほとばしった印象的な言葉が私の中に刷り込まれたのか。
脈絡なくポッと浮かんだそれらのせりふが、私の日々迷いのヒントになったりもするから不思議です。

中でもいちばん好きなのは、「おてんとうさまはみているぜ」

そして、ついでに、いちばん好きなシーンは、路傍のお地蔵様に出会えば、1000円札1枚がやっとぐらいのぺらぺらの黒長財布から小銭を出して供え、きちんと正面からお参りするシーン。

常識者から観たら困り者の寅さんが、実はだれより品格のあるひとだ!
と気づかせるための、監督山本洋次さんの演出なのかどうなのか…。

そんな「品のよさ」を、私も身に着けたいもの…と、観るたび聞くたび、しっかり胸に刻むのです。

阪神淡路大震災の被災地に赴く寅さんのエピソード

シリーズ最終作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』は、舞台が、岡山、鹿児島のはずが、そこに阪神大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の菅原市場のあたりが登場し、その地で寅さんがボランティアとして活躍していたという設定の短いシーンがあって印象的。

実は、これ、被災地からの強い要請を受けて山田洋次監督がもう仕上がっていたシナリオに書き加えたエピソードなんだそうです。
エンディングは、その1年後の正月に復興をめざす菅原市場に再度寅さんがやってきて商店主たちと再会を喜ぶ場面。

このとき、渥美清さんの病状はそうとうに進んでいたそうですが、スクリーンの中にはいつも通りの寅さんがいて押し付けがましくない励ましがあった。
そのシーンが、現地に与えた勇気はいかばかりだったろうか。

2011年。
もう、寅さんのいない時代になって、また大きな震災がやってきて、いつもは借り手のいないそのDVDが、いつまでもレンタル中だったことを思い出します。

ああ、こんなことを書いていたらまた観たくなりました。
「さくらがさいております。懐かしい葛飾のさくらが今年もさいております。…」というモノローグから始まる第一作目。
そこからまた、ゆっくり鑑賞してみましょうか。

YouTubeを探したら、第一作のオープニングがあったので、ちょっと貼ってみました。

たぶん、唯一、寅さんがネクタイをして、革靴を履いているんだったかと。ノーネクタイに腹巻&雪駄がデフォルトと思っているヒトには、ちょっと意外な寅さんかも。

◆今日は、2014年8月27日/旧暦8月3日/葉月庚午の日