この花、本名は、木立朝鮮朝顔というのですが、私たち家族内では、「オトウサンの花」と呼んでいます。
今は亡き父が病床からみえるこの花の開花を楽しみにし、しかしそれを見ること叶わず亡くなったその日。
あまりにも見事にいっせいに黄色い花が咲いた。
残された、私たち母子が、きっとお父さんが咲かせて逝ったね…と誰も疑わずに思ったのは、その父は、野菜作りも庭木を育てるのも上手な、いわゆるグリーンフィンガーの持ち主だったからだ。
木立朝鮮朝顔は1年に何度も開花する花
6月ごろにはひっそりと咲いてるからそんなに存在感はない。
そして、秋の彼岸頃に再度、立派に花を咲かせる。
もう今年の花の頃は終わりだろうなぁと油断してると、さらに晩秋11月のはじめごろに花をつける。
木立朝鮮朝顔は、こんな風に初夏から初冬にかけて何回も散っては咲いてを繰り返しますが、いちばん美しく勢いよく開花するのはお彼岸の頃のような気がするのは、やはり、逝ったヒトの中に、なじみ深いヒトがいるからでしょうか?
この花が咲くと、ああ、お彼岸のお墓まいりに帰らなくちゃなぁ…と思う。
ちなみに、父の命日は11月上旬。
また晩秋に黄色い花が咲いて、やっぱり命日には帰らなくちゃと思う。
妙に、逝った父の供養の日とリンクしているような気もするのです。
日本に帰化したのは薬用目的。実はこう見えて怖い花
木立朝鮮朝顔の原産地は、その南方的な見かけどおりに南米のブラジルやインドあたりと暑く湿った土地で、それが江戸時代に薬用として渡来されたものが帰化したのだそうです。
といっても、朝鮮朝顔のなかまの渡来は、穏やかなイメージの生薬などとは、やや趣が違います。
この木立朝鮮朝顔を含み、なかまの種はすべて有毒植物。
渡来当時は、喘息の薬や麻酔薬に使ったのだそうです。
たとえば、世界ではじめて全身麻酔の手術を成功させた江戸時代の外科医・華岡青州が使用した全身麻酔薬「通仙薬」の成分のひとつ「朝鮮朝顔」も、その仲間。
写真の下向きに花が垂れ下がる「木立朝鮮朝顔」とは違い、白い花を上に向いて咲かせる草ですが、「木」と「草」の違いはあったとしてもどちらも毒をもつ植物であるのにかわりはありません。
間違って使えば恐ろしい毒をもつ。
まあ、これだけ不思議な雰囲気醸し出してる花ならば、毒のひとつやふたつあるでしょうね。
渡来目的のことなど忘れ、今は都会のあちこちに根付く。
それを知っているのか知らないだけなのか、秋の都会には、だれも不安がることなく美しい木立朝鮮朝顔があふれております。
育てやすいという事情でもあるのか、都会では、民家の庭先はもちろん、図書館や公民館の花壇に植えられていたり、時々大型の鉢植えで栽培されている。
街路樹の根元をちょっと借りて植えたつもりが、いつのまにか存在感を増してしまった…とか。
特に住宅街に差し掛かると、黄色いトランペットのような花がまとまってぶら下がっているのが、やたら目の端々にはいってくるという特徴もあるような気がします。
今の時期は、街路樹に花はないし、民家の花も夏花が終わりつつあって小休止。
目に付いちゃうには、個人的な事情以外に、秋には、華やかな花が非常に少ないというのがあるのかしらん?
ある日、外出の行きかえりに、木立朝鮮朝顔に出会うたびに指折り数えてみたら、徒歩30分程度(電車は除いて)の間に、15本もの巨大な木立朝鮮朝顔を目にしました。
そして、この花を見るたび、私も、私たち家族も、父のことを思い出す。
彼が作った野菜の濃い味を、さしてありがたがらず食べてたなぁ…とか。
花々をただ薄ぼんやりと鑑賞してたかも…と少しだけ反省したりするのです。
◆今日は、2014年9月22日/旧暦8月29日/葉月丙申の日
◆日の出5時28分 日の入17時39分/月の出3時27分 月の入16時23分
言い訳:実は、なぜか富士山が我が街の富士見坂からは、見えなくなって、谷中・千駄木の街からは、木立朝鮮朝顔の姿がひっそり消えてしまいました。
その因果関係はわかりませんが、ちょっと残念。
なので、使った写真は、あえて、在りし日の木立朝鮮朝顔。
他の街にはまだまだたくさん咲いていますが、思い出の欠片を大事にする気分でここに使ってみた次第です。