通りすがりにお参りした寺の境内。
樹木に何かが実っておりまして…。
近寄って、見上げれば、柘榴(ざくろ)が爆ぜておりました。
つい最近、赤い可憐な花が咲いて、ミニチュアみたいな柘榴の実をつけたと思っていたら、あれは6月のコト。
愕然としますねぇ!
もう半年近くたったんですかぁ。
場所は、雑司ヶ谷の鬼子母神の境内
鬼子母神は、もとはインドのカミサマで、名は訶梨帝母(ハリティー)。
大変多産な方で、生んだ子の数は、500人とも1000人とも、いやそれ以上とも。
そんな途方もない数の子を育てる必要悪なのか、単なる好物だったのか、訶梨帝母は、日々人間の子を捕まえては喰って過ごしておりました。
人間にとっては冗談じゃない話。
あるとき、その罪を戒めるため、お釈迦様が一計を案じ、訶梨帝母のいちばん可愛がっていた末の子を隠します。
もちろん、嘆き悲しみ、苦悩する訶梨帝母。
こうして、子を喰われる親の苦しみを悟り、仏教に帰依、子どもと安産の神・鬼子母神となりました。
石榴はヒトの肉の味がする…まことしやかに言われる、ちょっと怖いお話がありますが、鬼子母神の庭に柘榴の樹は意味深です。
柘榴を近くにおいて、鬼子母神は、ひとの子の味を懐かしんでいるのでしょうか?
実は、子どもの代わりに石榴を食しているという説すらもあり、とすれば、鬼子母神にとって、石榴はひとの代替食。
罪にならねばやはり人を喰ってみたいということですか?
カミサマ方と人間たちの関わる話の中には、ときどきこんなドキッとする逸話が現れ、神と人との大きな違いを突きつけられる。
それは、脅威にも包容にもなる、大いなる自然とひとの関係のようなもの。
拝殿の賽銭箱の前で、暢気に願いごとなどしてられないと思うのはこんなときです。
鬼子母神さん由来の石榴は、別名「吉祥果」とも呼ばれます
しかし、鬼子母神さんと、石榴の名誉のために申し上げれば、たしかに鬼子母神像はいつも石榴を持っていますが、それは、別名「吉祥果」と呼ばれるありがたいもの。
魔障を除く力があるものなんだそうです。
確かに、柘榴は赤い実ですので、食せば、血の巡りを良くし、人のカラダから、疚しきものを除いてくれるかもしれません。
さらに、柘榴の実ひとつには、たくさんの小さな実がぎゅうぎゅうにつまり、それら一つひとつが小さな種を持っている。
そこから、柘榴は子孫繁栄をあらわす縁起のよい果物とされるそうで、鬼子母神さんにつきものの柘榴は、そうゆう由来によるのだとか。
…ああ、そうなのねぇ。
ヨカッタ…。
境内を廻ってみれば、鬼子母神にある柘榴はカワイイ意匠。
まず、目に入るのは、境内に奉納された絵馬。
この絵馬はお寺に奉納してきてもいいし、持ち帰っても、2枚授与いただき、両方でもいいそうです。
ご利益は「子宝に恵まれる」。
しかし、そうゆう願いがなくとも、ちょっと飾っておきたいセンスの良さです。
こちらは、鬼子母神の寺紋の柘榴がワンポイントになった土鈴。
カラカラならせば、魔除けになるとか。
こちらは、ひとつ授与いただきました。
ついでながら、鬼子母神堂と背中合わせに祀られている妙見菩薩さんの「土鈴絵馬」
家内安全、商売繁盛、眼病除けなどのご利益があるそうですが、中央の赤い丸に点々模様をぼーっと眺めていたら、これまで、柘榴の実の中味をデザインしたモノ?と思えて来ました。
…真意はさだかではありません。
さて、柘榴の花の頃には、恐れ入谷の鬼子母神の朝顔市が。
そして、実が爆ぜれば、雑司ヶ谷鬼子母神の可愛いボンボリ万灯が練り歩く御会式(10月16日~18日→鬼子母神公式サイト)がはじまります。
この偶然とは思えない、柘榴と鬼子母神の密かな連係プレイによるPR(?)。
なかなかどうして効果的です。
◆今日は、2014年10月15日/旧暦9月22日/長月己未の日
◆日の出 5時47分 日の入17時06分/月の出22時38分 月の入11時56分