ふと気が付けば…。
背高泡立草(せいたかあわだちそう)が咲いています!
たとえば、上野の不忍池では、枯れかかった蓮の葉の間から堂々黄色い花を咲かせておりました。
「あらっ!背高泡立草!!」と気がついたら最後、上野からちょっと遠距離を徒歩で帰宅する道々、あちらにもこちらにも目に入る。
小さな隙間や、つい最近、古い家屋の解体作業があって、更地になったところとか。
ちゃんとこの花が存在感を見せております。
この花は、悪者扱いされることが多いけど…
この花は、はびこられると始末に困るとか言われ。
ときどき、花粉症の原因であるブタクサと間違えられたり、気管支喘息の元凶などと誤解もされたり。
とかく悪者扱いされている雑草中の雑草。
けれど、その群生に不意に出くわせば、やはりその美しさにしばし見とれるものです。
たとえば、荒川に架かる橋から川を見下ろしてみたら、黄色い花の群生が…?
カメラの望遠機能で目いっぱい拡大してみれば…。
背高泡立ち草と芒のコラボが美しい。
この花は、名前のとおり、すっくと背高で、黄色の泡がふわふわ漂うように花を咲かせる。
雑草・野草好きとしては、数本ここからいただき家に飾りたいなぁ…とも思うのですが、この群生の美しさをみてしまったあとには、それはとても凡庸で、やはり野辺をのびのび黄色く染めているのが似合っています。
(とはゆえ、いつか数本、飾ってみたいとは思っているんですけどね。同じ系統、たとえばオレンジの花とか似合いそう。)
柳宋民センセイに聞いたこの花の素性
…って、いつものように『柳宗民の雑草ノオト』 (ちくま学芸文庫)を紐解くだけなんですが。
で、背高泡立草は、<生まれは北アメリカで、明治時代にすでに入ってきていたらしいが、爆発的に増えたのは太平洋戦争後>なんだとか。
その数十年のタイムラグがややきになります。
つまり、高度経済成長とともに増えた草?
いろいろ調べてみれば、アメリカ軍の輸入物資に種が紛れ、それらとともに日本全国に渡り地面に落ちてそのまま育ったらしく…となればやや納得。
自然破壊や公害など、植物にとってはあまりよからぬ環境の中で、他を駆逐しながら繁殖したというわけです。
さらに先の『雑草ノオト』にもどれば、
<背高泡立草は、かなり蜜を出すらしく、蜜源植物としても利用されているようだから、悪者も使いようかもしれない>
などとあり、養蜂に活用するという事情もあったかもしれません。
しかし、やや自然回帰がトレンドとなった現代には、その繁殖力の強さが自らの繁殖力を弱めてしまってもいるのだとか?
駆逐する天敵は自分自身という皮肉な種なんですかね。
といっても、今ごろの様子を思うに、「これでも繁殖力弱まってるの?」
としか思えませんが。
子どものころは、なじみある背高泡立草の群生。
…などを思い返してみます。
そーいえば、古い空き家や使わず放置された納屋などを囲み、中に進入。
平屋の屋根から黄色い花をのぞかせ勢いよく咲いていた光景まで稀ではなかったかも?
それが、少なくとも東京の雑草茂る空き地では、ものの数本といったところかも。
やっぱり、背高泡立ち草といえども、繁殖力は弱まってるのかしら?
そんな様子は東京だけのようで、故郷の休耕田広がる場所では、今も背高泡立ち草は大群生しておりますけどね。
ここは、ほんの数年前なら今頃は稲穂が垂れていた場所でした。
そう思い返してみれば、美しくてもやや物悲しい光景でもあります。
だから、近づいてみて眺めつつ「花は粟みたいだから、食べれないかしらね..」と、戯れに言ってみます。
あとで、一応調べてみたら、それは無理みたい(笑)。
背高「粟」立草じゃなくて、「泡」立草だしねぇ…。
しかし、草木染が可能な植物だそうで、染めるために煮立てると本当に泡が立つらしいです。
そうなんだ…。
で、いったい何色に染めてくれるのだろうか?
実は、そこのとこ、まだ調べがついておりません。
◆今日は、2014年10月24日/旧暦・閏9月1日/長月戊辰の日/新月
◆日の出 5時55分 日の入16時55分/月の出 5時57分 月の入17時10分