今ごろ、あちこちで目にするこの花こそが、杜鵑草(ホトトギス)です/10/25=旧閏9/2・己巳

山路行きて崖や傾斜した土地。
…とか。
あるいは雑木林の始まる辺りのあまり陽のあたらないところにひっそりと咲く花。

杜鵑草(ホトトギス)のことを、かつては、そう思っていました。

しかし、ちかごろは、ご近所をぶらぶら歩いただけで、出会うことが多い花。

街のホトトギス

たしか、もう晩夏の頃からぽつぽつ咲いてたけれど、気になりだすのは秋深まった今頃のことです。
まあ、これだけまとまって咲けばね。

杜鵑草は多年草

この花、一度咲いた場所を覚えておけば、毎年、同じ場所でこの花に出会えます。

だから、花咲くまでの観察だって可能。

まずは、夏盛りに、青々とした若葉が茂る。

ホトトギス葉っぱ

笹の葉に、ちょっと似ている。
そっと触ると細かい産毛のようなものが生えていて、ビロードのような肌触りです。

その後は、通りすがるたび、楽しみに眺めていれば、晩夏の頃に地味に紫のつぼみをつけます。

ホトトギス蕾

個人的には、この蕾の佇まいもかわいくて好きです。

それが、ぱっと開花すれば、小さいながらも存外に雅な感じ。

ホトトギス花2

白地に紫の斑点が映えて鮮やかで、ちょっと上品なテキスタイルのよう。
この柄を参考にして、布地をデザインして、ブラウスなどに仕立てたらどうかしらと思う。

…センスがなければ着こなすのは難しいか。

この柄こそが、その名の由来

植物学者・牧野富太郎センセイは、その著作で、この花の名の由来をこのように言っております。

「和名ハ杜鵑草ノ意、花蓋片ノ斑点ヲほととぎすノ胸班二比シテ此名ヲ呼ビシナリ」(『牧野植物図鑑』)

つまり、鳥のホトトギスは胸に斑点の模様があって、それがこの花の模様と似ているからこの名前がついたということですか。

ふーん、そうなんだ。

今日日、鳥ホトトギスこそ見る機会などありませんので、実はイメージがわきません。

しかたないので早速鳥類辞典をあたってみれば、グレイで地味な鳥の写真に「ホトトギス」とありました。
先に、花と親しんでしまえば、姿を知らぬ鳥のほうも白地に紫の点々柄のちょっと雅なイメージの鳥かしらと思ってしまう。
しかし、グレイの羽に、胸の模様は点々ではなくて縞模様。

うーん、それでも、牧野先生ちょっと無理がありませんかね…。

通好みが、鳥ホトトギスと花ホトトギスの共通点か?

鳥のほうのホトトギスは、万葉集の時代からよく題材にされたらしい。
近代文学では雑誌名(明治創刊『ホトトギス』。小説『吾輩は猫である』『坊っちゃん』の初出雑誌)。
小説のタイトル(徳富蘆花『不如帰』)もある。

などなどを考えると、ホトトギスは通ごのみの鳥。

そちらのイメージならば、この花の佇まいと近いかもしれません。

花のホトトギスは、雅な柄ながらもたたずまいは楚々として、茶庭などに植えられもする渋ごのみな花です。
晩秋の茶花のアクセントとして、可愛らしい小菊類や色づいた枝葉などとともに飾られて、晩秋の野の風情をかもし出します。

英名はなんと「がまガエルのユリ」と言うんだそうです。

上品だとか雅だとか。
通好み、渋ごのみ…とかとも言いましたよね。
そのように語ってきて、最後の最後になんですが、英国人のこのはなの感覚はこんな風らしい。

あの点々が、がまがえるのいぼいぼに見えたということですかねぇ(笑)。

「へくそかずら」だとか「おおいぬふぐり」とか、ときどきとんでもないセンスの悪さを発揮する和名の名づけですけれど、この花に関しては、日本人のセンスに軍配があがりそうな気がする!!

…と、ちょっと勝ったような気分に(何に?)なったので、最後に付け足させていただきました。
あしからず。

◆2014年10月25日/旧暦 閏9月2日/長月己巳の日
◆日の出 5時56分 日の入16時54分/月の出 6時56分 月の入17時50分