毎日、このブログのタイトルほかに登場させている甲子、乙丑…の文字。
これって何?
何に使うの?
という疑問もありましょうが、説明すると長くなるので、この日に引き続き詳しくは割愛。
一応、古代中国産の年月日付けの表記で、六十干支(ろくじっかんし)というもの。
で、現代でも、日めくりカレンダーなんかには記載があります。
えっ!何の役に立つかって?
今日などは、ばっちりその存在感を発揮してます!
11月の酉の日は、縁起物の熊手の市が立つ「酉の市」。
本日は、六十干支(ろくじっかんし)で言うと「乙酉」。
ここに「酉」の字があれば、今日は酉の日となるんです。
ちなみに、今年の11月には酉の日が二回でもう一回は、11月22日の「丁酉」の日。
今日はその一日目「一の酉」、そして11月22日は「二の酉」となり、関連神社では、両日ともに酉の市が開催されます。
酉の市は、関東地方限定、冬迎えの風物詩
東京都内では、もう数日前から、ここでもあそこでもといった感じで酉の市を知らせるポスターなどが貼られ、これがいちばん好きなポスターなんですが…。
ふふふっ、ちょっとおブスなおたふくさんのポスターは、巣鴨の大鳥神社の酉の市を告知いたしております。
その他思い出せるだけの都内の酉の市を数えてみれば、もう20箇所以上。
ええっ!本当ですか?
いや何度も数えて、調べてもみましたので本当です。
年明けの初詣は置いておくとしても、酉の市は、それにつぐ規模の年中行事かもしれません。
しかも、不思議なことに関東地方のみの行事!
酉の市発祥は、花又村(今の足立区花畑)の大鷲(おおとり)神社
酉の市は、江戸時代の初期から続き、その発祥は、江戸郊外の農村花又村(今の足立区花畑)の大鷲(おおとり)神社であるといわれています。
ということで、昨年はるばるいってきました。→詳しい道順などはコチラを
花畑は、海抜の低い、ただひたすらに平らな土地に、忽然と現れた小山(というか丘?)があって、そのいただき部分に大鷲神社が建っている。
花畑の界隈は、かつて花又と呼ばれ、東国に向かった日本武尊が、帰路立ち寄り戦勝を祝った場所。
それが縁となって日本武尊をお祀りするために大鷲神社が建立されたのだそうです。
往時は、水害も多かったと想像される低く平らな土地にある小山(というか丘)は、この神社のために建ってたんじゃあないかと思うほど。
実際、境内にお邪魔すれば、緑多く、空気が澄んで、地元の人々に大切にされているような佇まい。
けっこう当たっているんじゃないでしょうか?
大鳥神社の本社は上方、酉の市は江戸中心の不思議
記紀の英雄、日本武尊。
あるとき、父・景行天皇に西征・東征を命じられ平定後、伊勢国能褒野(現在の三重県亀山市あたり〉で命を落としその地に葬られます。
やがて、その魂は大きな白鳥となって空へ飛びたち、さまざまな土地へ降り立って、最後に大鳥(現在の大阪府堺市西区あたり)の地に降り、天へと昇っていったという伝説が残されていて、その最後の地・大鳥に建てられたのが大鳥神社。
そして、この伝説からうまれたのが、日本武尊をご祭神とする大鳥信仰です。
その後、大鳥神社(鷲神社)は各地に数々建立されて、大阪の大鳥大社はその本社とされます。
だから、正式に言えば、足立区花畑の大鷲(おおとり)神社もその分社のひとつ。
そして、日本武尊の命日である11月の酉の日だったことからその日が縁日となり、門前市が立つようになりました。
しかし、本社が上方にありながらも、熊手を売る盛大な露店市が立つのは江戸中心。
なんか、とっても面白い話に思えます。
酉の市発祥は、江戸時代。
花又村界隈は、かつて田畑広がる農村地帯であったのは、現地に行けば、もうそのとおり。
住宅の造成などもされてはいますが、今も、ポツポツと畑が残るのどかな場所です。
暮れも近い11月に立つ門前市なら、正月用品に、新年を迎えるにあたって新調したい生活雑貨や本物の熊手や鍬などの農機具などが主たる売物であったことは想像に難くなく。
一方、本社大鳥神社がある商業の町・堺で、そんな市が発祥するというのもやや似合わない理屈。
そもそも、酉の市の縁起物って、熊手ですもの、かつては典型的な農民市だった…というあたりが、案外その理由かもしれません。
…って、まあ、素人考えの想像ではありますがいかがでしょうか。
次は、酉さまの本流、浅草鷲神社へ。
農民市であった、酉の市のスタイルも、江戸後期に繁華街に近い浅草でも酉の市が立つようになると、都市型へとカタチを変えてゆきます。
ということで、その酉の市の変遷のとおり、花畑から徒歩→つくばエクスプレスと移動して、約30分。
現代では、「酉の市といえば!」の浅草鷲神社にも行ってしまいました。
冬晴れの空に映える提灯の群れをくぐれば…。
あでやか、華やかな縁起物の群れ。
いやぁ、美しいっていうか、もう派手派手です。
ココで、商売繁盛の熊手を売る露天商のにぎやかな声が交わされ始めたのは江戸後期。
こうして、電車で移動したとしても、花又村から徐々に繁華街に近い浅草へと移されるとともに、農民市から今ある都市型のお祭りへとカタチを変えてきたのが、実感としてわかります。
そして、三の酉まであった昨年2013年は、そのまま東京のお酉さまめぐりに突入!
で、今年も、性懲りもなく、どの酉の市に出かけようか?
..などと、思っているわたくしですが、それってもしや罰当たり?。
ちなみに、毎年、2社ずつ回っても、全制覇には時間がかかりそうな感じであることはたしかです。
◆今日は、2014年11月10日/旧暦 閏9月18日/長月乙酉の日
◆日の出 6時11分 日の入16時38分/18番目の月「居待月(いまちづき)」の出19時34分 入 8時59分