東京にだって、干し柿の光景は似合うのよ
我がご近所の界隈は、東京都心ちかくにしては柿の木の多い場所。
…ですが、どうもそれを採取する気配が見えない。
ときどきカラスの餌になり、あとは、地面に落ちでアスファルトを汚す…うーん。
私が採ってあげてもいいが…とちょっとココロを痛めておりました(というより欲かいておりました)ところ…。
オレンジ色の玉のれんがかかったようなあの光景は??
住宅のベランダでも、ちゃんと干し柿ができるみたいですよ!
一応、干し柿の作り方など
こんな美しくも美味そうな光景をみたからには、我が干し柿の作り方なども復習しておかねばなりますまい。
…と意味なく思う。
意味はないけどいってみますっ!
1.柿の木に、はしごをかけて柿の実を採る。
あたりまえじゃん!と、少し笑ったあなた。
干し柿作りは、この柿採取の瞬間から始まっているのです。
晒して甘柿にする分は、蔕のぎりぎりで枝からはずして可。
しかし、「干し柿」の分は、蔕に少し枝をつけT字型に残すのが肝要。
このT字型の部分は、と呼ぶと大人になってから知ったのだけれど、これがないと柿は上手く吊るせません。
ほらね、これもぜんぶ「撞木(しゅもく)」がついているでしょ。
2.柿の皮むき
採取した柿は、せっせっせと皮むきをする。
間違ってもそのT字の枝「撞木」を落とさぬように。
だから、皮剥きはおしりのほうから、くるくる、くるくるくるくる。
3.紐に結ぶ
柿は、皮を剥かれて、皮の色より一段薄いオレンジ色の裸になって、紐に順繰りに結ばれる。
例のT字型の部分…撞木に紐をきっちり結びつければ、あとは少々の風にもびくともしないはずなのである。
まぶたの裏に柿の実の残像が出てくる頃。
一本の木から採れたとは思えないような量の柿がずらり紐に吊るされて、家の軒先に巨大な玉のれんのようにぶら下がった様は壮観。
田舎育ちの私のクラスメイトのには、農家の子も数多く。
干し柿作りが初冬のお手伝いの定番。
その話がうらやましかった。
柿の木のある農家の子は、それを眺めてから学校に行き、帰ってきてはそれを眺める。
あの甘い干し柿は、何日寝て起きたら食べられるんだろかと毎日気にしているうち、美しいオレンジ色は冬の陽射しを受けて乾燥し、だんだん茶色くしぼんだ感じになってきて…たぶんすっかりと忘れてしまう。
北風が吹いて、雪が降り、コートをはおり、手袋にマフラーをして、そんな真冬の一日に、茶色くしぼんで白い粉が浮いたあの「干し柿」が食べごろ。
もうずいぶん前に出来上がって取り込まれていたことに気づくんだって。
「ミルクティに合うんだよね。今度食べにおいでよ!」
と言われたことまで思い出してしまいました。
いつも通るご近所の道に吊るし柿。
都会のベランダの光景は、ある家の柿の木が、めずらしくすっかり実が無くなってるなぁ…思っていたら、翌々日。
突然、出現したもの。
普通の民家の2階の窓に、柿の実が吊るされて並び。
この光景は、案外どこでも似合うものだなぁ…と見上げて眺めていたら、出てくるもんですねぇ、干し柿の記憶。
食べものの記憶ってのは永遠です。
…ってのは、私の場合?
しかし、一列二列の小規模な干し柿つくりはよく見るモノの、ここまで壮観なのは久しぶりです。
と思えば、この後、同じような光景に、あちらでもここでもと言った感じでぶち当たり。
もしや私のカラダに干し柿センサーでもできちゃった?
刺激的な甘さというのには遠いけれど、太陽の陽射しに作られた滋味豊かな甘さの記憶。
このまま雨も降らずに10日もすれば、あの2階屋の窓の干し柿も食べごろに達し、そのままさらに数日、少しずつ甘さと美味さをましてゆくのです。
…って、私が作っているわけでも食べるわけでもないんですが、なんだかすごく楽しみです。
◆今日は、2014年11月18日/旧暦 閏9月26日/長月癸巳の日
◆日の出 6時19分 日の入16時33分/月の出 1時51分 月の入13時58分