北のほうでは、山間部どころか山裾のほうまで木の葉が色づいたのは、もうかれこれひと月以上前だった。
そうこうするうち、朝晩のニュースも各地の紅葉を話題に取り上げだして、そろそろかなぁ…と、木々が織り成す彩を期待して街に繰り出したとしても東京都心はまださっぱり。
街路樹も公園の木々もまだまだ青々としておりました。
木々の色付きは、明け方の気温が10度を下がってやっと始まり、約20日ぐらいで見ごろを迎えるんだそうです。
となれば、11月中旬あたりに、やーっと最低気温が10度を切った東京地方。
季節の暦、七十二候は「朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)」だというのに(しかも、11月27日~12月 1日って、今日まで!)、
東京は、いよいよこれからが「街の紅葉狩りの季節」です。
おおっ!今日は大収穫だねぇ!
って、ホントに紅葉を狩る子供に出会ったのです。
「ねえねえ、それはなあに?」
なんとなく、わかるけど聞いてみた。
「きょうのぼくのしゅうかく!!」
と、その収穫葉っぱを高々とかざして見せてくれた。
「へぇ、ずいぶんたくさん釣れたねぇ。名人だねぇ~!」
といったのは、葉っぱが魚に見えたから。
そしたら、その子は、これ以上ないといった風に大きく笑う。
笑って開いた口には、前歯が無くて、ちょっと“いたずら坊主顔”ぶりが可愛いいなぁ~(^^♪。
見上げれば、街の街路樹もカラフルになった
桜の木々がオレンジに色づき始めたのが11月上旬。
次に、欅がじんわり色づきはじめ、もまあまあカラフルになった。
しかし、そこからが長く待って、やっと楓、そしてさらに、待って待って、銀杏の黄色…が、12月に入る間際になってやっと少し。
となって、街が彩を見せ始めました。
色ずくのがこんなに遅かったから、落葉までは間がないかも。
なんせ、七十二候は「朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)」ですからね。
いそいでいそいで、眺められるだけながめましょうか…とあちらの公園、植物園、神社に並木が自慢の道も。
日暮れが早い日々ですから、ぼんやりはしていられません。
そうして、やや焦燥感気味に葉っぱを眺めていると、あの子の真似をしたくなる。
狩りましたっ!紅葉!落ち葉!
きちんと並べたほうがかわいいかな?
あの子の収穫物を見たら思い出したんですよね。
「紅葉狩り」というからには、いろんな種類の枯葉を採集することかと張り切ってビニールやらピンセットやら鋏やら…。
採集道具を準備をした子ども時代。
それを、大人たちに大笑いされて「狩り」が、ただ眺めるだけだと知ります。
が、「ずいぶん退屈そうな遊びだなぁ」と、ホンキだった子供はやや憮然。
我がことながら、いいセンスした子ども時代じゃあないですか。
紅葉狩りは、平安時代に雅な貴族の遊びとして始まったもの。
昔々の紅葉狩り。
宴を開いて紅葉を愛で、木々を彩る美しさを和歌に詠んで競い合う「紅葉合」などが行われたそうです。
貴族の遊びや風習は、時代が下がるともに例によって、武家→庶民と広がって、江戸時代には、季節の行事として定着します。
春に野辺に繰り出して花見を楽しんだのと対のように、秋にも山郷へ繰り出して、紅葉によって描かれた絹織物のような美しさを俯瞰してみる。
私たちは、江戸の頃からずーっと変わらず同じように紅葉を愛で楽しんでいるわけですが、それを1枚、2枚採取して楽しんだヒトはいないのかしら?
紅葉狩りの「狩り」は、「彩った葉を探して眺めること」
という意味もあったそうで、実際、平安時代の雅な方々は、紅葉した木の枝を選んで手折り、手のひらにのせてまじかで鑑賞したりもしたんだそうです。
それに習って、平成の私は、落ち葉が路上に描いた「絵」を探し、観賞。
こんなのどうですか?
遠くからも目立っていた黄色×茶色のコントラスト。
こちらも、掃き清めた場所に、図ったかのように舞い降りてきた赤く姿のいい葉っぱ。
おおっ!ハートじゃん!
そして、楓が舞い降りる代わりにコンクリートに楓の模様?
この掘った楓は、谷中の天王寺からJR日暮里駅に降りる階段にあるので、よろしかったら探してみては?
そして、はらはら散って地面を染めた辺りに踏み入ってサクサクサクサク…小気味良い音を奏でる落ち葉の演奏までも楽しみましょうか。
ふーっ、もういつまでもキリなく楽しめそうな、街の紅葉狩りです。
◆今日は、2014年12月1日/旧暦10月10日/神無月丙午の日
◆日の出 6時32分 日の入16時28分/月の出13時01分 月の入 0時37分